今宵、月が愛でる物語
「…もう、いいです。」

俯き、疲れたような怒ったような声でそう言った彼女は今降りたばかりのエレベーターにまた乗り込んでしまった。

やっぱりおかしい。疲れてんのか?

「ちょっ!おい待てって!」

呼び止める俺に構いもせず、ボタンを押して俯いたまま去ろうとする。

「いえ、私今日は普通じゃないんで。黒崎さんのペット扱いの相手する余裕ないんです。」

…は!?なんだよ、ペットって!?

俺そんな風に思ったことなんて一度も……

扉が閉まる一瞬、不意に顔を上げた彼女と目が合う。

「…っ!」

しかもなんだよ、あの顔!

あんな表情させておいてすんなり帰せるかよ!

定期を握りしめエレベーターの隣にある非常階段を猛ダッシュで駆け下りる。

ホントはもっとちゃんと、気持ちを伝えるはずだったのに!俺のバカ!

「あーくそっ!間に合え俺!」

一階に降り、なんとか滑り込みで彼女の足を止める。

滅多にしないことをしたせいで、息が上がり、心臓も早い。

「…疲れることさせんな。」

あとはもう、止まらなかった。


< 85 / 136 >

この作品をシェア

pagetop