あなたと恋の始め方①
 中垣先輩の机の上には三本の缶コーヒーが置かれていた。そのうち二本目のプルタブが開いているし、その横にはコンビニのおにぎりの包みの欠片が置いてある。どう見ても中垣先輩が研究室から出てないことは明らかだった。食事はしたようだけど、どう考えても二本目の缶コーヒーのプルタブが開いているなら休憩はしてない。


 研究熱心というよりは中毒のように仕事をしている。



「随分早かったな。もう少し遅くなると思った」


「時間通りだと思いますけど」


「久しぶりに高見主任と折戸さんに会ったのだからもっと遅くなるかと思った。実際に研究の山場は終わったから早く帰ってくる必要もなかったのに」



「高見主任は仕事に支障を与えることはしないです」


「そうか」


 中垣先輩は研究以外に全く興味がない人なのかと思っていたら、そうでもないらしい。前々から優しく私のことを気遣ってくれていたのかもしれないけど、研究しか頭になかった私にはわからなかった。でも、今、私が中垣主任の優しさに気付くのは本社営業一課で仕事をしたからだろう。


「ありがとうございます。じゃ、仕事に入ります」


「ああ。かなり急がないと商品化に間に合わないな」


 中垣先輩はパソコンのキーボードの上に指を躍らせながら独り言のように呟く。それは自分に言っているのか私に言っているのか分からない。静かな研究所の一室にパソコンのキーを押す音だけが聞こえていた。
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