はるのリベンジ
7月3日。早朝。東行先生指揮の下、田ノ浦に上陸した私達は、海陸二手に分かれて、大里で攻防戦を繰り広げていた。
私は、小川先生との指示で、東行先生から絶対に離れないようにという任務だった。
東行先生の体調が悪い。
本当は、ゆっくり休まないといけない。でも・・・。先生は、これが自分の生かされた意味だと頑張っている。
私は、そんな先生を、支えるだけだ。
多くの死者を出したがなんとか大里を占領できた
7月27日。
東行「次は・・・。ゴホッ。コホッ。小倉だ・・・。城攻め・・・。うーん・・・。どうするか・・・。」
ここで、三度目の奇襲をかけたが、小倉城下の外れの砲台を死守する肥後藩の猛反撃を受け苦戦。
一時、劣勢となった。
半日にも及ぶ戦いになり、20数名が、戦死したが、遺体を収容することも出来なかった。
東行先生は、この日、体調が悪かったが、大里まで行き、大篝火(だいかがりび)を焚いて、陣中で一夜を過ごした。