元教え子は現上司
「遠野、ちょっといいか?」

 人事の長谷から相談を受けたのは、コンテンツサービス事業部のリーダーになった三ヶ月後のことだった。社内用の会議室に呼ばれた暁は、長谷の対面の椅子に座る。

「どうしました?」
 長谷は机に並んだ顔写真付きの書類を、暁の方へと向けた。
「コンサビに新しいひと入れようって話してるだろう。これだけ応募来たんだけど」
 どの人と会ってみたい、と問いが続く。書類は全部で六枚。端から目を滑らせていた暁は、そのうちの一枚を見て目を見開いた。
 
 久松碧

 ドクン、と鼓動が強く鳴る。机の上に置いた手の指先が震える。
 書類の端に付いた小さな顔写真。紛れもなく、碧のものだった。
 なぜ、とかどうして、とは思う余裕もなかった。ただ息が止まるほどに驚いた。

「遠野?」

 長谷の声にハッとして顔を上げる。きょとんとしたように暁を見る長谷が、暁の見ていた書類に気づくと苦笑して、
「あー、その人はね。いた業界もちがうし、あとほら」
 年齢も、と小さく続けられて、再び書類に目を落とす。三十一歳。書かれた数字をじっと見つめた。
 三十一。あの頃の碧は二十三。いや、まだ二十二だったはずだ。今の自分よりも年下。
 八年も経ってるんだ、という自覚が体の中をじわりと痺れさせる。それからふいに笑い出したくなった。

 それがなんだというんだろう。

 時間の流れが障壁になってない。その自分に気がついて、ふっと頬が緩んだ。

 久松碧。三十一歳。前職は塾の講師。住所は、連絡先は。
 あれほど会いたかった恋人の八年間が淡々と綴られている。
 会いたかった。
 そして今もずっと、会いたいままだ。

「この人にします」

 え、と長谷が目を丸くする。表情の変化は、胸を打つ昂奮に気を取られている暁は気がつかない。
 あおい。
 ようやく会える。会えるんだ。

 ――それなのに。
 あれほど会いたかったひとに会ったあの日。浮かんだ感情は自分でも驚くほどの、強い怒りだった。

「長いことお世話になった大切な職場で、学ぶこともとても多かったですが、今後は培ってきた経験を別の形で活かすことができればと考えまして」

 口元だけで笑う碧の言葉に心がこもってないことは、暁だけじゃなく長谷も気がついただろう。小さく息を吐く音が横から聞こえる。

 嘘をついてる。
 また暁の前で、このひとは心にもないことを平然と言ってるんだ。

 八年前と同じような光景に、それまで胸に抱いていたあたたかな何かが急激に冷やされる気がした。
 気がつけば言っていた。

「あんた、相変わらずうそつきだな」
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