琥珀の記憶 雨の痛み
「え、念のため聞くけど、それお母さんでもないんでしょ」

「当たり前でしょ! なら最初から莉緒には聞かないわよ」


そりゃそうだ、うん。
私も分かっていて聞いたのだけど。

あまりにも心外だったのか、母は目玉が零れ落ちそうなくらいに見開いて、軽く椅子から飛び跳ねた。


「でもじゃあ誰よ。それ、明らかにお父さんの――他の女の人? ってことじゃないの?」

「お父さんだって、心当たりがありすぎるから困ってるんじゃない? だから手当たり次第に電話して……お母さんのとこにまで」

「はあ?」


思わず漏らした声は、今度はさっきよりもずっとずっと低音で。
母は一瞬、『しまった』という顔をした。


「そ、そんな軽い人だったの? お父さんって」

「……いいわよ莉緒は、今さらあの人のことなんか知らなくて」

この期に及んでまだ隠したいのか、まさか父を庇いたいわけでもないだろうが、母は狼狽えていた。

「いや、だって、でも……、今さらだから尚更、もういいいじゃん。もうここまで来たら、言っちゃえば」


しばらくたじろぐような様子を見せた母は、やがて観念したみたいな溜め息を吐いた。

それでも一旦はこの場から逃げたいのか「お茶でも淹れる?」と立ち上がる。

私も一緒になってキッチンにまわり、お茶の用意をする母の横で、さっき食べたばかりの夕食の食器を洗った。

母と並んで台所に立つのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない、とふと思った。
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