どうぞ、ここで恋に落ちて

「私の樋泉さんを好きだって気持ちを、樋泉さんが見限らないで」


唇にのせた囁きが空気に溶けて彼の鼓膜を震わせ、固まっていた樋泉さんの肩がピクリと動く。

私は樋泉さんの手の中に伊達メガネを返し、鞄を肩にかけ直すと、まだ混乱する彼に背を向けてスタスタとリビングを出た。


「あっ、えっと……」


慌てて追いかけて来た樋泉さんが、玄関でパンプスに足を突っ込む私を何か言いたそうに見守っている。

私はドアノブに手をかけながらくるりと振り返り、戸惑う樋泉さんを見た。


メガネをしていない、等身大の樋泉さん。

眉を下げた子犬のように情けない表情をしているのに、それでも彼を愛しいと思うのは、彼への気持ちがとっくにスーパーヒーローへの憧れではなくなっているからだ。

私はこの先ずっと、この人が好きだと胸を張って言える自分でいよう。


私はなるべく不安や嫉妬が声に混ざらないように意識して、口角を上げてちょっと意地悪く笑ってみせた。


「それから、樋泉さんは絶対気付いてないと思うから言っちゃいますけど、すずか先生は樋泉さんのことが好きだから、ズルいことしてでも振り向いてほしいんですよ」


樋泉さんが目をまん丸にしてパチリと瞬き、口をポカーンと開ける。
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