ストックホルム・シンドローム




けれどある日、沙奈と暮らし始めて二週間ほどが経った頃。


ようやく返事をするようになった沙奈が、ベッドのふちに座る僕に言った。


「…ねぇ、目隠しを外してよ」…と。


…ねえ沙奈、君は…。


どうして、そんなことを言う?


「…ダメだよ。前も言ったけど、僕、君に顔を見られたくないんだ」


「…どうして?私は…」


「…うるさい。黙ってよ」


「でも」


「黙れ!」


また反射的に右手が出て、僕の右手は音を鳴らし、彼女の白い頬を打った。


「ゔっ…!!」


はっと我に帰り彼女に目をやると、沙奈は顔を右に向け、唇を噛んでいた。


沙奈の手が、身体が、震えていた。


傷つけたい訳じゃないのに。


傷つけたい訳じゃ。


どうして手が出る?


僕は、ただ、沙奈にこの顔を見られたくなくて――。


「…ごめん。でも無理なんだ。昔、その、チアキに…」


「…チアキ?」


「…いや、なんでもない」


口から先走った言葉がチアキだなんて。


違う違う違う違う違う。


僕は沙奈だけなんだ。


チアキなんてどうでもいいメスブタなんだから。


そう、汚く醜い、メスブタ…。


『…顔だけ男って感じ。あーあ、イケメンと思って付き合ったんだけどなぁ。あたしに顔を見せないでよ』


…消え失せれば、いいのに。


あんなメスブタ。


記憶の底から。


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