ストックホルム・シンドローム
そうだ、沙奈。
きっと、君は…。
「被害者が一過性の愛情を持つこの現象を、"ストックホルム症候群"と、いうんだ」
――ストックホルム症候群に
かかっている。
おかしな緊張感が僕の震えを助長する。
それを振り払うように僕は沙奈の血が染み込んだような赤いサテンの布を見つめ、言葉をあざなった。
「君の愛は、それじゃないのか」
沙奈が口ごもるのを見て、僕はふと、自分の言った問いに疑問を覚えた。
どうして?
僕は沙奈が好きなのに。
沙奈を愛しているのに。
沙奈に、好きだと言われて、
嬉しいはず、なのに。
――どうして僕は、沙奈に、
矛盾した問いを投げかけるのだろう。
「…違う。わたし、本当にあなたのこと」
僕の中で、何かが割れた。
「黙れ…黙れ黙れ黙れ!!」
手からマグカップが滑り落ち、床に琥珀色のコーヒーが広がる。
けれど、落下した際の音は少しも聞こえなかった。
僕は常備しているナイフを掴み、ベッドに横たわる沙奈の首に、その切っ先を突きつけた。
赤い血液が一筋、
彼女の白い肌に、流れ落ちた。