いと。

「………………え?」

思わず耳を疑う。

『解放』?

そんなこと…この人の口から出てくるなんて。

「……どういうこと?信用できない。」

どんな裏があるというのか。

「…じゃあ愛はもう苦しい思いをしなくて済むんですね。…その言葉を間違いない約束だと受け取っていいんですね?」

私をそっと引き寄せながら冷静に父と対峙して薫はそう言った。

その視線を受け止めた父は…口角を上げてニヤリと笑った。

「私はこれまで嘘をついてきたことはない。約束しよう。

……ただ、条件は当然ある。」

………何をさせる気?

「条件?……『辞表を書け』ということと関係が?」

私を支える手の力が強くなる。父の物言いに、薫も何か感じているようだった。

「…そうだ。聞いていないのか、君は。

……ふっ。大事なことを何も教えてもらえず、それでも恋人だと言えるのか?

…まぁ、所詮その程度の『愛しいひと』だということか。」

薄ら笑いを浮かべた気持ち悪い顔。見ているだけで吐き気がしてくる。


この顔を見ると、血が繋がっていないことに心底ホッとする。


でも……、薫はたった一人の私の『愛しいひと』だ。それをそんな顔で笑われるのは許せない。

「あなたと私の間に大事なことなんか存在しない。この前来た時の勝手な話なら尚更。

そんなの承諾していないし、するわけないし……馬鹿げてる。それをまた持ち出すの?いい加減にして。」

以前会った時この人は私に『結婚しろ』と言った。

でもそんなの…引き受けられる訳のない話であり横暴であり無茶苦茶だった。

だからこそ薫にも言わなかった。余計な心配をさせたくなかったから。それをまさかまた持ち出すなんて。

「…お前は私がお前との会話にわざわざ冗談を言ったとでも?

何のためにお前が言う『飼い殺し』をしてきたと思う?女であるお前を手元に置いて育ててやった理由など一つしかないだろう。

…なぁ、多久島くん。君も経営者ならわかるだろう。経営とは大変なものだ。時にはコマが必要になることもある。」

視線をチラリと薫に向け、『どういう意味かわかるだろう』とでも言わんばかりに得意げな表情をする。

薫はそれを理解したようで、私を守るように抱きしめるとキッと父を睨みつけた。

「…薫?」

薫からは明らかに怒りの空気が読み取れて、私の肩を抱くその掌からは熱が伝わった。

「愛の人生を何だと思ってそんなことを!? これ以上苦しめるな!

愛は俺が守る。だからもう関わるな!」

「……っ!薫…。」

素直に嬉しかった。ハッキリとそう言ってもらえて。でも…父は引かなかった。

冷たい視線を向け…、言い放った。

「それはできん。相手ももう決まってる。向こうの好意でお前の気持ちの整理がつくまで待つと言って下さってはいるがそうそう待たせられん。」

「なっ…!そんなことできるわけ…」

「できるだろう?お前がこの男を切り捨て、覚悟を決めればいいことだ。

そうすればお前は向こうの家の人間になる。私の管理下ではない。望むなら一生会わなくていいように口添えしよう。

何の問題もないじゃないか。」

「……っ!」

私の心を一切無視した勝手極まりない話。たとえ私を憎んでいるとしたってそこまでするなんて。

もう怒りは止まらなかった。

「いい加減にして!」

薫の腕にしがみつきながら震えを抑えて叫ぶ。

「私はもう振り回されない!薫のそばにずっといる。何を言われてもそんな結婚なんてしない!帰って!」

はぁはぁと息を切らせるほどの興奮状態だったことにふと気付き、薫の手を引きマンションへと促す。

「帰ろう、薫。この人の顔なんかもう一生見たくない。」

「……あぁ。」

父を睨みつけるように見つめていた薫は私の方を向き直ると一緒に歩き出した。

「さっさと諦めた方がいいぞ。そうでないと…」

私たちの背中に声がかかる。

「じきに見るはずのなかった真実を突きつけられて苦しむことになる。お互いが大事なら傷が浅いうちに別れておけ。

………いいな。また来る。」

カツカツと無機質に鳴る靴音と車に乗り込む音、高級車が静かに走り去る音。

私たちの心を好き勝手に掻き回し、父は去っていった。

あまりの怒りに震えていた私は、薫の大きな手と胸に抱えられるようにマンションに帰っていった。


私を支えていた薫が…心の中にどんな思いがあるかも知らずに。


< 138 / 561 >

この作品をシェア

pagetop