いと。
強い力に引っ張られるように意識が戻り、向けた視線の先には走り寄る戸澤さんがいた。
「……………なんでここに?」
力なく出した声は掠れていた。
「お前が心配で探してたに決まってるだろ。節子さんがお前がいないし、外出したにしても帰りが遅いって慌てて連絡してきたんだ。
……はぁ、見つかってよかった。」
膝を折り、頬に伸ばしてきた両手は冷たかった。
その表情は切なげで…でも、安心したように穏やかにも見えた。
「心配なんて…、私にはそんな価値これっぽっちも………」
あっという間だった。
次の瞬間には、走っていたせいなのか少し早くなってる彼の鼓動が耳元で聞こえていて…同時に少し甘くてスパイシーないつもの香りが雨の中でも鼻に届いた。
「………戸澤さん………離して……。」
「すぐに切り替えられないのもわかるけど、もう区切りをつけろよ。
これ以上、苦しむなよ。
そんな苦しそうな顔、見たくねぇよ。」
「…区切り?……そんなの、ついてるよ。薫と元に戻りたいなんて思ってない。
ただ……ただね、私に関わったせいであんなに大事にしてたこのお店を手放したことが…申し訳なくて……。
ここは…薫が、努力をたくさんたくさんして作り上げてきた全てが詰まっていたのに。まだまだこれから、いいお店にしていくって…言ってたのに。」
無意識にキュッと握った仕立てのいいスーツは雨で濡れていた。
「あいつはあいつの人生だろ。ここを手放さずに家族も幸せにする方法だってあったはずなのにそうしなかった。
それはあいつ自身の選択で、愛の責任じゃない。
自分のせいにするなよ。」
「薫…自身の選択………?」
「そうだろ。あいつがそう選んだ。愛との思い出があるここじゃなく、新しく家族との思い出を作る場所を。
………帰ろう。オレは絶対、離れないから。お前が離れない限りずっとそばにいる。
ずっと守る。ずっと愛していく。一緒に幸せになる。オレにはそれができる。
だから……、オレのそばにいて、オレを愛せよ。
………オレと結婚しろよ。」
私を抱きしめる腕に一層力がこもって、そこで私はやっと…この人の想いは本当なんだと感じた。
ふと見上げたメタルフレームのメガネには雨粒がたくさんついていて、その奥にある切れ長の目には私が確かに映っている気がした。
「……………時間を、ください。」
精一杯の答えだった。
父の道具にはなりたくない気持ち。
理由はどうあれ、一度は感じたこの人への不信感や怒り。
もう一度だけ信じようかという気持ち。
もう一人でいたいという気持ち。
それと………あんなに愛した薫以上にこの人を愛せるのかという疑問。
それを一時で判断できるほど、強い人間ではなかった。
「…わかった。いいよ。
結論が出るまではウチにいろ。一緒にいて、オレのことをもっと知って、考えてくれればいい。」