残念御曹司の恋
それから、両家の顔合わせや、新居探しなどをとんとん拍子に済ませて、息子は結婚し、我が家を出て行った。

この家に、初めて夫と二人きりになる。
結婚当初は夫の両親と同居で、さらには義兄弟も独立していなかった。
両親が引退して田舎暮らしを始めた後も、息子の竣がずっと一緒だった。
外泊することも多く、そもそも離れに部屋があるため、居るのか居ないのか分からないような息子だったが、それでも、ずっと親子三人で暮らしているという意識があったのだ。

だが、これからは正真正銘の二人きりの生活だ。

夜遅く帰ってきた夫を玄関まで迎え出て、私は彼にそっと囁いた。

「今日、竣が引っ越しましたよ。」
「ああ、今日だったか。」
「ええ、もう今日からは帰ってきません。」

夫はふっと息を漏らして静かに笑った。

「寂しいのか?」

そう尋ねながらも、私の答えがそうでないことを彼は知っている。

「いいえ、寂しくはないです。」
「だな。俺もだ。」

私の意見に同意した夫は階段を上り始めた。
それを私は、後からすぐに追う。
彼は私が秘書だった頃から、自分の鞄を私には決して持たせなかった。

『自分の荷物くらい自分で持つさ。』

そう言って譲らない彼を、手ぶらのまま追いかける。最初はどこか手持ちぶさただと思ったが、もう長い間やっていると、こちらの方が自然に思えてくる。

彼には、鞄持ちは必要ないが、毎日の出迎えだけは必要らしい。
明確な言葉でやれと言われたことはないが、やらないと不機嫌なので、そう言うことなのだろうとすぐに気が付いた。

いつも、会話をしながら長い廊下を歩く。
書斎まで行くと、鞄を置き、また一階へと戻る。
そして、次に向かうのはお風呂場だ。
夫は、どんなに空腹でもご飯より風呂が先の人間だった。
脱衣所には、すでにタオルや部屋着が用意してあるので、夫を脱衣所の前まで見送るまでが、帰宅時の出迎えの一連の流れだった。
いつもは、その後キッチンへと戻り、夕食を温め直す。
今日も他愛もない会話をして、夫が脱衣所の扉を閉めるのを眺めていたら、そこで、夫の動きが一瞬止まった。

閉め掛けた引き戸の間から手が伸びてくる。
夫の手が私の手首をぐいっと引いた。
強引に脱衣所の中へと引き込まれた私を夫は見下ろして言う。

「一緒に、入るぞ。」

突然の提案に私は目が点になった。

「え?ちょっと、何…」
「何って、二十八年振りに一緒に風呂に入る誘いだが?」

何の冗談だと、夫の発言に固まったままの私を見て、夫はくすくす笑った。

「いいだろう?今日からは二人きりだ。」

そう言い残して、勝手に一人服を脱ぎ始める。

「でも、着替えとか用意が…。」

恥ずかしさのあまり、いろいろと言い訳を探す私に、かつての強引御曹司は相変わらずの発言をする。

「なら、今すぐ用意してこいよ。先入っているが、お前が入ってくるまで絶対出ないからな。俺をのぼせさせるなよ。」

まるで脅しのような一言に、私は早々に諦めて、着替えを取りに走る。
いつまでも、どこまでも、彼に振り回されている私。
でも、嫌だと思ったことなど一度だってないのだから不思議だ。
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