残念御曹司の恋
日々、育児をしながら私は悶々と悩んでいた。
夫はもう私を女として必要としていないのかもしれない。
そもそも、最初から私のことをそんな風には見ていなかったのかもしれない。
そう考えれば、全て納得がいく。
思えば、最初から与えられていたのは「気に入った」という漠然とした好意で。
「愛してる」はおろか、「好きだ」とも言われたことは無かった。

帰りが遅い理由は、仕事が多忙であるせいだと分かっていた。
だけど、すっかり悩み疲れた頭は、どんどん良くない方向へと舵を切る。
夫はもしかすると浮気しているのかもしれないと、あり得ない妄想すら頭に浮かぶこともあった。


「泣いてるのか?」

その日私は、息子を寝かしつけた後、ベッドの中で悶々と考えを巡らせた結果、泣き疲れて寝てしまっていた。
夫は涙の跡に気が付いて、ぼんやりと目覚めた私に、問いかけた。

「どうした?誰かにまた何か言われたのか?」

夫は帰宅したばかりなのか、まだスーツ姿だった。
首を横に振るだけで、何も言わない私の肩に手を置き、心配そうにのぞき込んでくる。

「千夏、黙ってちゃ分からない。ほら、言ってみろ。」

そう言われても、まさか本当に泣いていた理由を言う訳にはいかない。
久々に夫に触れられた肩から、じんわりと夫の体温が伝わってきて、私の目からは止めようと思っても止まらなかった涙が溢れ出た。

「千夏、一体、どうしたんだ?」

頑なに何も言わない癖に、ひたすらに涙をこぼす私に、夫は少しだけ焦ったように言った。
ただ事ではないと悟ったようだ。
私を抱き起こして、ベッドの上で優しく抱きしめる。

どんなに苦しくても、私はこの人の側に居たいんだ。
彼の温もりに触れながら、自分の意志を確認する。
しかし、念願の彼の腕の中でも、私は涙をますます止めることが出来ないまま、気が付けば頭の中とはまるで逆のことを口走っていた。


「…長野に…帰りたい。」

それは、頭ではなく心の声だったのかもしれない。

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