残念御曹司の恋
「そんなに俺のことが嫌い？」

ややトーンダウンした彼の声に、申し訳なく思う気持ちが生まれる。

「いえ、谷口さんの問題ではなくて、あくまで私の問題です。今はまだ恋愛したくないんです。」
「せっかく彼を忘れるために、新しい街に来たのに？」
「来る前は私もそうしようと思っていたんですけど。」
「気が変わった？」
「はい。自分でも驚きの心境なんですけど。」

私は、二ヶ月近く掛けてやっと自分の中で消化できた結論を口にする。

「自分の心に空いた穴ですら、そこに彼が居たんだと思うと愛おしくて。できれば、ずっと埋めたくないんです。」

そう言い切ると、私は彼の顔を見た。
彼は、少しだけ驚いた顔をしてから、ゆっくりため息をついた。

「それは、すごい壊れ方だな。」

壊れている。本当にそうかもしれない。
しかも、壊れていることを自覚しながら、直す気が無いことが、一番の問題なのだ。

彼は、呆れたような顔をしながらも、やさしく微笑んだ。
それは、いつもの営業スマイルでもなければ、私を見つめる挑戦的な笑みでもない。

「相手の彼。俺にとっては恨むべき男なのかもしれないけど、どうしてかな、うらやましくて仕方がないな。」
「こんな重い女、やめておいた方が正解ですよ。」

彼はきっと、いい人だ。
少し強引で、自信過剰なところがあるけれど、自分勝手な感情を押しつけることはない。
だから、私では駄目なんだと思う。
私の勝手な事情に彼を巻き込んではいけない。

彼は、私が笑顔を作ったのを見届けると、伝票を持って席を立つ。

「先にごめんね。気が変わったら、いつでも教えて。」

そう言って店を出ていく彼を見送った。
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