残念御曹司の恋
「今日は…ローンの相談に?」
出来るだけ明るく言った。
笑顔はうまく作れていたと思う。
「そうでなければ帰れと言うなら、ローンを組んでも構わない。」
彼の口調は明るかったが、その顔は決して冗談など言うような表情ではなかった。
「いいえ。帰れだなんて。ただ、仕事中だから。」
声を潜めて言う。
本音はこのまま、じゃあ、と言って帰ってくれたらいいのにと思う。
でも、逃げたいけれど、逃げられそうにない。
彼が何を言いにきたのかは検討も付かないが、突然の襲来に、私にノーと言わせる隙は作られていなかった。
「だったら、待ってるよ。休憩は?仕事は何時に終わる?」
「えっと…」
慌てて時間を確認しようとすると、隣から声が掛けられた。
「片桐さん、今から休憩してきていいわよ。30分くらいで戻ってくれる?」
主任がただならぬ様子を察してくれたのだろう。
見上げると、彼女はすべてを察したかのように優しく微笑んでいた。
「…でも。」
「いいから。」
少しだけ抵抗した私に、今度は主任のノーと言わさない視線が注がれる。
「ありがとうございます。」
それに返事をしたのは、彼だった。
いつのまにか、主任と微笑み合っている。
どうしてか、完全アウェイ状態だ。
思えば、私は。
彼のこういうところに、憧れていた。
初対面でほとんど会話もしていないのに、いとも簡単に相手の心を掴んでしまう。
彼が跡継ぎとして成長する中で自然と身につけた人心掌握術とでもいうべきものなのか。
私も彼に心を掴まれた一人で。
彼に初めて会ったときに掴まれた心は、すぐに恋心へと変わり、もう10年以上離してもらえないのだ。
その威力を、久しぶりに目の当たりにして、私は、意を決して席を立った。