幸せそうな顔をみせて【完】
 タクシーが止まったのは明らかに私のマンションの前ではない。遠目でしか見たことのない副島新のマンションだった。

 急かされるようにタクシーを降りた先はもちろん副島新のマンションで、右の方を向くと、私の住んでいるマンションも微かに見える。


 一瞬、走って逃げてやろうかと思ったけど、不意に注がれた視線がいつもは自信満々なのに、少し揺れているから、何も言えないし、出来なかった。


 ふと向けられた視線がとっても優しく熱さを持っている。そんな視線で見つめられるのは初めて。


「1215室だから」


 副島新はボソッとそう言うと、自分のスーツのポケットから鍵を取り出し、エントランスのインターフォンに付いている鍵穴に鍵を入れ、クルッと回す。するとすぐにオートロックが解除され、自動扉が開いたのだった。


 エントランスの奥に私はまた手を引かれていく。エレベーターに乗り込んでも副島新は何も言わずにいて…。私は階が上がる度に緊張が増していく。それでも手が離されることなくて、タクシーに乗ってからも、そして今も、私の手は副島新の手に包まれていた。


「そんなに捕まえてなくても逃げないよ」


 そんな私の言葉に副島新はフッと息を吐くように言葉を零す。


「俺が手を繋ぎたいだけって言ったら笑うか?」

「笑わないけど」



 エレベーターが止まった12階は静かで誰も生活してないようにさえ思える。誰も居ない廊下を歩いていくと、自分の靴音が妙に響いていた。


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