幸せそうな顔をみせて【完】
「お、帰ってきたか。どうだった。瀬能商事は?」


 そんな声に振り向くとそこにはマグカップに入ったコーヒーを持った副島新の姿があった。ちょうど休憩をしているところだったのだろう。マグカップからはふわふわと柔らかい湯気が上がっている。ワイシャツの袖を捲った状態の副島新は今日はもう客先には行かないつもりなのだろうか?


「無事に終わった。研究所の中垣主任研究員の説明を聞いたけど、まだまだ勉強が足りないと思ったわ」


「そうか。俺も頑張らないといけないな」


 そういうと副島新は綺麗な微笑みを浮かべながら自分の席に座るとパソコンの上に指を躍らせた。そんな姿を見ながら、さっき聞いたことを聞きたいと思いつつも聞けないでいた。聞いてしまって、『転勤が決まった』という事実を副島新の口から聞くのが怖い。


 きっと一般の社員に発表があるまでは私にも言わないつもりなのかもしれない。それにしても副島新は何を考えているのだろうか?よくよく考えてみると、つい最近も小林主任と一緒に本社に出張していた。あれは転勤前の挨拶だったのだろうか?


 夜に態々会いに来てくれたのはそのためだったのだろうか?前の私なら聞けなかったと思う。でも、今は…怖いけど一般に公表されるよりも先に副島新の口から聞きたい。怖いから聞きたくないのに真実を聞きたいだなんて矛盾している。


「葵。今日の夜、焼肉でも食べに行かないか?葵の瀬能商事の納品のお祝いに」

< 297 / 323 >

この作品をシェア

pagetop