幸せそうな顔をみせて【完】
 自分から聞こうと思った。でも、今日はきっとまだ心の準備が出来そうにない。だから、また明日にでも聞こう。逃げと言われればそうだけど、今の私には無理だった。金曜日の夜から今朝まで心も身体も蕩けるほど愛して貰った。その余韻がまだ残る状態で真実を聞くのはどうしても怖い。


「でも、まだ本調子ではないからまたにする」


「じゃ、俺の部屋でいい?」


 誰も居ない営業室だからって大胆な言葉に赤面してしまう。副島新のベッドはまだ乱れたままなのだろうし、そんな状態で転勤の話を聞く気分にはならない。


「自分の部屋に帰る。平日は泊まらないんでしょ」


「平日は泊まらせないつもりだったけど、どうも葵の様子がおかしいから尋問。事によってはお仕置き」


 そんな大胆不敵な言葉を発していると急に営業室のドアが開き、同じ営業課の男の人が帰ってきた。彼も仕事を一段落させたのか表情は柔らかい。


「悪い。瀬戸さん。コーヒーを淹れて貰える?本当なら自分でするところだけど、今の客先で精根尽きたから甘えていい?」


「いいですよ。ブラックでしたよね」


「ああ」


 私は頼まれたコーヒーを淹れるために営業室を出た。営業室を出るとホッとして、今のタイミングで帰って来てくれたことを感謝した。時間稼ぎだと分かっているけど、少しでも考える時間が欲しかった。給湯室でコーヒーを落としながら考えるのは副島新のこと。


 これからどうするか考えないといけない。フッと息を吐き、コーヒーを淹れて営業室に戻ると、そこには副島新の姿はなかった。
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