幸せそうな顔をみせて【完】
 緑川さんがタクシーで帰った後、私もすぐにその場を後にした。緑川さんの話を聞いていて副島新に会いたくなってしまっていた。バッグから携帯を取り出すと電源を入れる。すると一番最初に画面に映ったのはメールを知らせるもので、それは時間にして一時間以上も前。


 副島新からだった。


『大事な話があるからどうしても会いたい』


 不意にさっきまで一緒だった緑川さんの言葉が頭を過る。『後悔しないのが一番』本当にその通りだと思う。自分の人生だから逃げることも出来ない。だから、次々に起こりうることを乗り越えていかないといけない。


 それが私の人生だから。


 画面に映る文字を見つめ、私は画面を撫でた。そして、メールではなく私は副島新に電話を掛けたのだった。メールをする気にはならなくて、直接話したいと思った。


 何コールかの後にプツッと音がして、私の大好きな人の声が耳に届く。私の好きな人は私の耳元で優しく私の名前を呼ぶ。名前を呼ばれるだけで幸せな気分になる。さっきのオレンジジュースにアルコールが入っていたのではないかと思うくらいに私は副島新に酔っているのかもしれない。


『葵』


 名前を呼んだだけで、メールを送った時間からかなり経っているのさえも何も言わずにただ私の言葉を待っていた。電話口の向こうで息を飲む音が聞こえた。『大事な話』というのは本社営業一課に転勤のことだと思う。でも、それを私は副島新の口から直接聞きたいと思った。


 電話でもメールでもなく直接…。

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