残業しないで帰りたい!
遊馬は俺の正面の席に座って腕を組んだ。
「兄貴、一度うちに来たことあるだろ?すっごい子どもの頃」
「……うん」
遊馬、よく憶えてるな。遊馬ってあの時たぶん小学1年生だよね?
「俺、今でもあの時のお袋が忘れられないんだよね」
「冷たかったから?」
あの時の母親は、俺を無視して家に入れない冷たい母親だった。それが印象的だった?
「違う違う!兄貴は知らないんだよ!」
「何を?」
「兄貴、あの時扉をバンバン叩いてただろ?あの時ね、お袋、玄関に座り込んで扉に寄りかかったまま離れなかったんだ。俺はすぐ婆ちゃんに奥の部屋に連れてかれちゃったからその後のことはよくわかんないけど。あの時お袋……、泣いてたんじゃないのかな」
「……」
「兄貴はお袋のこと、あんまりよく思ってないみたいだけど、お袋だって兄貴のこと、手放したくなかったんだと思うよ」
あの時……。
家に入れてほしくて両手で扉を叩いたあの時。
あの時、玄関には誰もいないと思ってた。
みんな俺を置き去りにして奥の部屋に行っちゃったんだって思い込んでた……。
だからあんなに必死になって大きな声を出したんだ。
でも、俺が必死で叩いた扉のすぐ向こう側には母親がいたの?
……俺が扉を叩いた振動を、母親はその身に感じていたんだろうか……?
里美さんの言葉を思い出した。
『母親が子どもを手放すなんて、身を切られるより辛いことなんだよ?』
……。
そんなこと言ったって、結果的に母親は俺のことを捨てたんだ。
いや……。
でも……。
思わず額に手を当てた。
考えてみたらずっと専業主婦だった母親が、小さな遊馬と病気がちな祖母を抱えて仕事をするにしたって、短時間のパートくらいしかできなかったんじゃないだろうか。
もしかしたら、母親には俺たち二人を養うなんてできなかったのかもしれない。