残業しないで帰りたい!
ふと時計を見ると、始業時間ぎりぎりになっていた。
「もうこんな時間!?私、行かなきゃ!」
香奈ちゃんがにわかに焦り出したから、巻き付けていた腕を離して彼女を解放してあげた。
にっこり笑ってひらひらと手を振る。
「いってらっしゃい」
「……翔太くんは?」
「俺はまだへーき」
「翔太くん……、真面目にお仕事しなさい」
「ほーい」
メッと視線で叱られつつ背広を返してもらい、香奈ちゃんを室内に戻してからも、手すりに寄りかかってまた一人で富士山を眺めた。
俺は香奈ちゃんを守りたいなんていい気になってるけど、本当に守られてるのは俺の方かもしれない。
黙っていた俺を許してくれて、俺のわがままを許してくれて。
変化を恐れる甘ったれた俺の心と折り合いをつけてうまくバランスまで取ろうとしている。
ずっと年下のはずなのに、香奈ちゃんは俺よりよっぽど大人だ。
リリリンッ!リリリンッ!
突然、スマホが鳴った。
……んっ?
新田?
アイツ、商談じゃないのか?
電話をとると、すぐに新田のデカい声が聞こえてきた。なんか声がダブって聞こえる。
『雨降って地固まっただろ?俺の思ったとーりだな!』
なに言ってんだ?嘘をつくんじゃないっ!
これが原因で別れたら、笑い話のネタにするつもりだったんだろ?
「余計なことすんな」
『冷たいこと言うなよー。いやー、それにしても、お前がそこまであの子に本気だったなんて、俺知らなかったよー』
「?」
『翔ちゃん、一目惚れだったの?案外臆病なのねえ?ずっと話しかけられないなんてっ!』
「なっ!?」
聞いてたのか?
いつから?
どこで?
下の階?
手すりから覗き込むと、煙草をくわえて上を見上げ、手を振る新田と目があった。
なんてことだ……。
……お前、悪趣味だろ?俺よりもずっと。