ウ・テ・ル・ス
 真奈美は今自分がここにいる経緯を思い返して見た。今日仕事を終えた真奈美は、帰る路でまた視線を感じた。初めて視線を感じてから、その視線は日に日にそのねばりつくような不快感を増していたのだが、今日はあきらかに違っていた。真奈美の身体のあちこちを、鋭い刃物のように刺してくるのだ。その視線の変貌に邪悪な決意を感じた真奈美は、振り払うように、足を速めると自分の部屋に逃げ込んだ。
 ドアにチェーンロックを掛けて、とりあえず一息つく。さて、秋良に連絡したものかどうか悩んだ。今日、接客していた彼の様子では、仕事が大変そうで自分なんかに構う暇なんてないのではないかと感じていた。スマートフォンを手にとりあえずリビングへと入っていった真奈美ではあったが、自分の寝室のドアを見て戦慄を覚えた。締めていたはずのドアが、わずかに開いていたのだ。今度は躊躇なく秋良に電話した。
 彼は飛んでくると言ってはくれたものの、彼を待つ間自分はどうしたらいいか解らなかった。外に出た方がいいのか、家にとどまっていた方がいいのか。しばらく思案していると、寝室の方から物音が聞こえた。真奈美の身体が凍りついた。同時にドアにチェーンロックをしてしまったことを悔やんだ。全神経を寝室の方向に集中しながら、音をたてないようにゆっくりと出口の方向に進む。一歩。二歩。三歩目だった。寝室のドアがゆっくりと開いた。寝室から獣の殺気がドライアイスの煙のように床を伝わって真奈美の足もとに絡んできた。来る。そう感じた瞬間。
「真奈美!」
 ドアを叩きながら叫ぶ秋良の声がした。その声が邪気を追い払った。家具を蹴散らして逃げる音が寝室から聞こえてきた。真奈美も秋良の声に弾かれるようにドアに駆け寄り、震える手でチェーンロックを外してドアを開けた。飛び込んできた秋良は、何よりも先に真奈美を腕の中にかくまうと、逞しい腕の力からは想像できないほどの優しい声で彼女に囁いた。
「もう大丈夫だ。」
 あぁ、誰かに守られるって素敵…。秋良の胸の中で震えながらも、真奈美はそんなことを感じていた。秋良は、彼女の部屋の中を確認もせず、そのまま真奈美を抱きかかえるようにして自分の家に連れてきたのだ。

 真奈美は、秋良が着替えから戻る間、興味津々で部屋を見回していた。普通は家主の過去の断片でも知れるようなものがあるはずなのに、そんなものは一切見つからない。
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