凪の海
 ひと通りハイキック体験会が終わると、ニヤニヤしながら様子を見ていた佑樹に、友達が声を掛けた。
「えっ、俺?」
「そうだ。本来はお前が真っ先にいただくのが筋だろう。」
「いや、俺はもうすでに先輩からスリーパーホールドを頂いているからいいんだ。」
 それを聞いた汀怜奈が赤面する。
「馬鹿言うな。ちゃんとハイキックを頂け。」
 友達に促され、苦笑いをしながらも仕方なくフロアに出ると、佑樹は身構えた。
「先輩。よろしくお願いいたします。」
 4人へハイキックを繰り出した疲れもあったが、先程の佑樹の発言への動転も手伝ったのだろう。汀怜奈の繰り出した今度のハイキックは、急所を大きくそれ、身体ごと佑樹にぶつかると、その拍子でふたりとももつれながら床に倒れ込んだ。
 床に倒れて気づくと、汀怜奈は佑樹の腕に守られていた。年下とは言え、高校野球で鍛えられた肉体。その腕の逞しさは、シャツの上からでも容易に想像できる。顔は唇が触れんばかりに近づいていた。
「先輩。ビールで酔ったんですか。しっかりしてくださいよ。」
 佑樹の言葉に慌てて身を離す汀怜奈。高校生達に助け起こされながら、もう彼女の顔は真っ赤だった。フロアが薄暗いのが幸いして気づかれはしなかったが、席に戻った汀怜奈は、急いで残りのビールを飲み干す。明るい席で顔が赤いことを指摘されてもビールのせいにできるからだ。
「それでは、話の続き、よろしくお願いいたします。」
 高校生達に促されて話しの再開。話が終わっても、盛り上がった高校生たちは汀怜奈を帰そうとはしなかった。気がつけば、仲良くなった高校生達と肩を組んで歌っている。
「先輩は何でそんな女みたいな高いキーで歌えるんですか。」
「自分はテレビで見たことがあります…たしかソプラニスタっていうやつですよね。」
 高校生たちは自分達の質問に自分達で答える。汀怜奈は、笑顔でいるだけで、まるで嘘をつく必要が無かった。それがまた、彼女の心を軽くし楽しませた。

 いつカラオケを出たのか記憶が無い。目を覚ました汀怜奈があたりを伺うと、そこは佑樹の部屋である。腕の中を見るとまた、佑樹が自分の胸に顔を埋めて寝ている。しかもご丁寧にも自分の膝の間に佑樹の身体が挟まっていた。
『また、やってしまいましたわ…。』
 今度は冷静に、佑樹の布団から抜け出ると、階段を下りた。
「ああ、佑樹の先輩。おふぁよう。」
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