『私』だけを見て欲しい
白いミニテーブルの上にグラスを置いて、ソーダ水に見立てた青いビー玉を入れる。
貝殻や白い石を足元に並べて砂浜を作り出す。
後はビーチサンダルを置けば出来上がり。


午後9時。
いつも以上に時間をかけてしまった。

(そろそろやめなくちゃな…)

幾らなんでも遅すぎる。
連絡も何もしてないから、母はきっと気を揉んでる。

立ち上がってエレベーターの前に移動する。
お客様が出てきた瞬間、目の前に映る景色が、夏でなくてはならない。

「もう少し背の高いグリーン、置いた方がいいかな…」

テーブルヤシも飾るといいかも…とイメージする。
本物の海には、ここ10年行ったことがない。
雑誌やテレビで目にするだけ。
殆ど旅行にも行けてない…


「はぁ…」

ディスプレイの前に敷いた段ボールの上に座り込む。
帰らなきゃいけないのに、なかなかその気になれない。

肩にあった手の感触は、仕事してるうちに薄くなった。
胸のドキドキ感も、注文受けてる間に静まった。

なのに、どうしても忘れられない言葉がある。
『好きだ』と言われた声が聞こえてきそうで、胸が震えて仕方ない。
残ってるかどうかも分からない人に、見に来て欲しい…と思ってしまう。
拒絶するかのように押しのけたのに、落とした紙コップも拾わず、出てってしまったのにーーーー


(あの後…片付けてくれたのかな…)

床にこぼしたコーヒーのことを思い出した。
拭きにも戻らない私のことを、あの人はなんと思っただろう。
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