コンプレックス
目元に暗い陰を落とし、心吏はすがるような目であたしを見る。いつもこうだ。彼はいつも、「明日じゃなきゃダメ」と言う。ただの口癖なのか我儘なのかは解らないが、あたしがそれを拒めないのは確かだ。
「しょうがねぇなぁ…今から行っちゃう!?」
「マジで!!沙羅大好き!」
『大好き』。
心吏が云うと安っぽいなぁ。あ。いつか見た小説の一行みたい。
「あたしもダイスキ」
煙を出しながら彼を真似て言ってみた言葉は、心吏より遥かに安っぽく聞こえた。可笑しいな、本当に好きなのに。
全部ぶちまけたい衝動を、煙草を吸うことで抑え込んだ。
「ねぇ、もう一本ちょうだい?」
ザザッ…ン
ザザザザーッ…
「ねぇ心吏、車戻ろうよ…」
「は!?何でだよ!今からがいいとこなんだろ!」
何が良いところなんだ。車で数時間の海は貝殻の破片が散らばっていて、磯らしきものが辺りに点々と横たわっている。別に綺麗な海を想像していた訳ではないが、夜の海を前に不意討ちを食らった気分だ。
「なんで夜…」
「沙羅、怖いの?」
神妙な心吏の声に彼を見上げた。
闇に溶けてしまいそうな黒髪が、潮風に靡いていた。こちらを無心で見つめる心吏が怖い。夜の海は全てを変えてしまう。押し寄せる波も音も風も、全てが不気味に見える。深い闇は果てのない絶望のようだ。そんな真っ暗な海を前に足がすくむ。
「…俺が見える?」
否、本当に怖いのは心吏だ。どうしてそんなに、儚い?
彼が消えてしまいそうな危うさに、思わず想像した。もし、
もしこのまま心吏が海へ走ったとして、あたしは止められるのだろうか。
「車、戻ろう?お願い」
力では敵わないだろう。振りほどいて進んでいく心吏が容易に想像できる。じゃあ二人で沈んでいく?二人なら悪くないかも。そう思った瞬間、心吏が笑った。
「悪くねーな」
え、?