冷徹なカレは溺甘オオカミ
そんなわけで、印南くんが名古屋支店からこちらにやって来たときの若い女子社員たちの浮かれようといったら、相当なものだった。

だがしかし、彼のこの無表情っぷりに狩猟本能は徐々に削がれていったらしく……今では目の保養として、あくまで観察対象に落ち着いたようだ。

でも印南くんって、こんな能面でもなぜか男性陣にはやたらと人気あるんだよね。しょっちゅう飲みに誘われてるところ見かけるし。

……え、まさかまさか、そっち系の人だったり?

いや、うん。やめよう、そういうこと考えるのは。


廊下に立ち尽くすわたしの背後で、またエレベーターが口を開ける。

どやどやと社員たちが降りてくる前に、足早にオフィスのドアをくぐった。



「おはようございます」



すれ違う人たちに挨拶をしながら、フロアの中を通り抜けていく。

九条物産は、主に合成樹脂原料を取り扱う専門商社。ここ本社に勤める社員は70名ほどだ。

11階フロアは約200坪の広さで、その中に役員室や会議室、各部署等が配置されている。

朝ここに来て、まず目指すのは女子更衣室だ。この会社は女性社員規定の制服があるから、それに着替えなければならない。

更衣室があるのは、フロアをつっきって一度廊下に出た端っこの方。
階段から来ればすぐ目の前、なんて位置なんだけど、さすがに11階まで階段上ってくるガッツと体力はアラサー女子にありませんわ……。


他の女子社員たちにも挨拶しつつ、今日も更衣室できっちり制服に着替え、長い髪もシュシュでゆるくひとつにまとめる。

あ、そうだ、濡れたブックカバーはロッカーの中にかけとかないと。

さっきまでは制服をかけていた黒いハンガーに、リネンのブックカバーをひっかける。

パタンとロッカーの扉を閉じたら、思わずため息がもれた。


……あーあ、まさか印南くんに、ああいう本を読んでることを知られるなんて。

でもまあ、印南くんだったから、まだよかったのか。何しろ彼は口が固そうだし、というかわたしの噂とかもまったく興味なさそうだから、おもしろおかしく人に教えたりはしなさそう。

あーでも、しくった。今度からもっと気をつけよ。


よし、と心の中で気合いを入れて、顔をあげる。

そうしてわたしは、我ながら似合わないと思うシンプルな事務服に身を包んで、オフィスへと向かったのだった。
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