冷徹なカレは溺甘オオカミ
震える声でつぶやいた瞬間、ぐいっと強く、腕を引かれた。

気づいたときには、もう、彼の腕の中。

呆然とするわたしの背中と腰に手をまわされて、きつく抱きしめられる。



「……ッ、」



あたたかい体温。固い胸板。

久々に近くで感じる、印南くんの、におい。



「……お願いですから。言うこと、聞いてください」



耳に触れたくちびるから直接言葉を流し込まれ、びくりと身体が震えた。

切なく響くその声に込められた感情なんて、そんなの、わたしにはわかりっこない。

彼の胸の前にある両手のこぶしをぎゅっと握りしめて、思いきりその胸板を押した。



「ッ、しば」

「──そういうのは、」



両腕をつっぱったまま顔を横に背けて、わたしは表情を隠す。



「そういうのは、本当にすきな人にだけ、してあげなよ……っ」



やさしいけど、ひどい。印南くんは、ひどいひとだ。

どうして婚約者がいるくせに、こうやって、わたしに構うの。

どうして、抱きしめたりなんか、するの。

それでも素直に胸を高鳴らせるわたしは、もう本当、救いようがない。


わたしが言い切った瞬間、ガーッと音をたてて背後のエレベーターが開いた。

いつの間にか床に落としてしまっていたバッグをとっさに拾い上げ、迷うことなく踵を返す。

エレベーターの外にいた知らない誰かが、驚いて身を引くのが見えた。後ろからわたしを呼ぶ声が聞こえた気がしたけれど、その横をすり抜け、出入口の自動ドアに向かってまっすぐ駆けて行く。
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