冷徹なカレは溺甘オオカミ
わたしの勤める『株式会社 九条物産』のオフィスが入っている高層ビルまでは、駅から徒歩5分。

少し前までは暑い日が続いていたけれど、10月半ばの朝は歩くのには快適な気温だ。

胸まで伸ばしたウェーブがかった髪が、心地良い風になびく。



「あっ、おはようございます、柴咲(しばさき)さん!」

「おはようございます!」

「おはようございます」



エントランスに足を踏み入れるなり、会社は違えど下のフロアに勤めている(気がする)男性社員ふたりに挨拶された。

どういうわけか、わたしは面識がないはずの人に名前を知られていることが多くて。

正直、あの人たちの名前もわからないくらいなんだけど……せっかく挨拶してくれたからには、きっちりお返しはしている。



「はぁ、やっぱ美人だよなー、柴咲さん。どうにかお近づきになれねぇかなー」

「へっ、無理無理、おまえじゃ相手にされないって。あの人、噂によると医者と弁護士と政治家の愛人やってんだって」

「うわぁ……そりゃ無理だわー……」



……あの、バッチリ本人に聞こえてますけど。


エレベーター待ちの間、斜め後ろにいるさっきのふたり組の会話が耳に入ってしまって、思わずげんなりする。

といっても、こんなことは日常茶飯事だったりするのが、また悲しかったり。


……どういうわけか、面識のない人にも名前を知られていることが多いわたし。

そしてどういうわけか、身に覚えのない悪い噂までもが、いつもセットで知れ渡っているのだ。
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