恋、物語り
慣れない下駄で走るのは困難で。
「ちょ、ちょっと待って!」
彼の響く声と同時に腕を掴まれた。


「………」
「………」

沈黙をやぶるのはいつも彼。

「逃げないでよ…」
「…ご、ごめん」


話がしたかったんだ、ずっと。
そう言って私の腕を離した彼の顔を直視することが出来なかった。


「き、気まずいかな、と思って…
最後、あんな風に終わったから…だから…」

私の口から発する言葉は虚しく宙を舞う。
夏の空気が息苦しい。

だからなんだと言うのか。
気まずいのは彼ではなく、私の方なのに。


「気まずい?…気まずくなんかないよ」

彼はいつも優しい声で私に話しかける。
ーー…彼を見た。
切ない顔をしていた。


「俺のことウザい?」
首を横に振ることしかできない。

「俺のこと、嫌い?」
また、首を横に振る。


嫌いなんかじゃない。
彼は優しかった。

たった数日のメールのやり取りだけど。
ミツルの家に行く時に夜道は危ないと迎えに来てくれた。
帰り道はこんな私を追いかけてくれた。


ーー…『俺、振られるんだよね?』
私から言わせないように彼から言った言葉。

最大の優しさ。

< 55 / 126 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop