欲しがりなくちびる
朔はそこまで言ってひと呼吸吐いてから相馬を見ると、彼は何とも言えず穏やかな顔をして微笑んでいた。

「朔さんは、彼のことが好きなんですね」

「……はっ?」

脈絡なくそう言われて、朔は思わずあんぐりと口を開けた後、不覚にも顔が赤くなっていくのが分かった。

「ふふっ。素直な人ですね。どこの世界も同じだとは思うけれど、確かに芸術分野で認められるのは、悲しいけれどほんの一握りというのが現実です。どんなに才能があっても、その機会や運に恵まれなければ表舞台に出ることは厳しいだろう。私は恥ずかしながら親の七光りでね。若い頃は、父親と違って才能がないと評論家達に散々こき下ろされたけれど、今では一変して当時を忘れたようにご機嫌伺いしてくる輩もいる。正直、この世界は何が起きるか分からない。その時々の時代背景もあるだろうし、色んなものが絡み合っているんだ」

相馬はそこで一旦話しを区切ると、「どうだろう」と提案するように手帳を取り出した。

「私の家は小さなギャラリーも兼ねていてね。よろしければ、今度遊びに来ませんか? そうだな……。私は暫く留守にするから年明けになってしまいますが構いませんか?」

頬に深い皺を刻みながら微笑む彼の好意に断る理由がない朔は、ぜひお伺いしますと即答する。その頃は新年早々始まるセールで心身ともに草臥れきっている頃だが、いい気分転換になるだろう。何より、浩輔のことも紹介できるかもしれない。彼の為に、何か突破口を見つけてやることができればそれで良い。余計なお世話かもしれないけれど、後は彼自身が決めればいいことだ。

朔の心は何だか少し浮足立って、その日は心地良いほろ酔い加減で帰路へと向かう。

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