欲しがりなくちびる
「実加ちゃん? 急にどうしたの?」

慌てて彼女を歩道の端に引き寄せると、何故か少し怒ったような困ったような顔をして朔を見上げてくる。

「店長、最近元気ないですよ」

「そう? そんなことないと思うけど」

「さすがに店に立ってる時はいつも通りですけど、パソコンに向かってる時とか、結構溜息吐いてますよ」

実加に指摘されるまで、確かに気付いていなかった。仕事中に溜息を吐いていた事も、そんな自分を見られていた事さえも、店長である自分がそんな姿を見せてしまったら示しがつかないというのに、これでは社会人としても上司としても失格だ。

「うちの店の子達は自己中が多いしスタッフのプライベートにもあんまり関心がないけれど、それでも長く一緒に働いているから、口には出さなくても何かあったのかな?くらいにはお互い気付いているし思ってますよ。まだ頼りにならない後輩かもしれないけど、仕事仲間って、家族や友達よりも過ごす時間が長いんだから、たまには頼ってきてください」

こんな顔もできる子だったのだと、真っすぐに見つめてくる実加の真剣な顔を今初めて見たかもしれない。

これまでプライベートには踏み込まない程度に、仕事仲間としての距離を保っていた実加が深入りしてこようとするほど、今の自分は滅入っているとでもいうのだろうか。自覚がない分、ショックも大きい。

「心配してくれてありがとう。実加ちゃんの人事考課、甘くしておくね」

「あ、それ嬉しいです。って、会社ジョーク言ってる場合じゃないんですって。……まぁ、店長が大丈夫ならそれでいいんですけど」

そう言いながらも納得いかない様子で拗ねたように唇を尖らせた実加が可愛くて、思わず噴き出してしまった。

「実加ちゃんのアヒル口かわいいけれど、実はあんまり男受けは良くないらしいよ?」

「えっ? 本当ですかっ?」

「うん。雑誌に書いてあった」

「ぇえーっ? 元カレは可愛いって言ってくれてたから、今カレの前でもたまにやってたのに……!」

それから駅に着くまでのあいだ、話題は男受けする仕草から、男がする仕草で一番好きな動作へと次々と移り変わっていく。

女はどうも一つの話題を掘り下げる事に不向きで、けれども、今の朔はそれに助けられていた。

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