欲しがりなくちびる
「店長、このあと飲み行く話が出てるんですけどどうしますか?」

店仕舞いの業務に一段落がついた頃、実加が声を掛けてくる。

「ごめん、私はパスかな。気兼ねしないでみんなで行ってきて。いま海外ドラマにハマってるから、早くDVD観たいんだよね」

「毎週のように飲み歩いていた店長が、最近どうしたんですか~? ……あっ! もしかして、彼氏と同棲始めたとか?」

興味深々に身を乗り出してくる実加にやんわりと微笑んで、各々に散らばっているスタッフを探すようにフロア全体へと視線を走らせる。

「良いお話があればちゃんと報告するから、それまでは、ね? 終礼だけ先に終わらせるから、実加ちゃん、みんな呼んできてくれる?」

たまに鋭い突っ込みを入れてくる実加を遠ざけると、朔は小さく溜息を吐く。

結婚の報告は式の日取りが決まってからにしようと、会社やショップの仕事仲間にはまだ婚約の話をしていなかった。実加が暢のことだと思って聞いている最近の朔のプライベートは、全部が浩輔と過ごす時間のことだ。

会社員で朝が早い彼は、途中までしか一緒にDVDを観ないが、翌日朔が帰宅するまでの間に歩調を合わせておいてくれる。たまにわざと次話まで観進めて朔にネタばらしをしてくるから、その都度くだらない口喧嘩をしたりする。

そんなありふれた毎日が楽しくて、仕事が終わると浩輔のマンションに真っすぐ帰る日々が続いている。

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