欲しがりなくちびる
そしてもう一つ、朔の楽しみは増えた。

月単位のシフトで土日休みをそれぞれ一日取れるところを第二・四土曜休みに変更して、浩輔が教える絵画教室に通い始めたのだ。

大人の生徒は彼女一人だけだったが、浩輔に淡い恋心を抱いているミキちゃん以外からは、‘年上のお姉さん’というそれなりのポジションを与えられ、子供の頃、二週間で辞めてしまったクラシックバレエ以来、久し振りの習い事に勤しんでいる。

絵の具の匂いは、なんとも言えず懐かしい記憶を呼び起こさせる。

浩輔の両親がまだ離婚する前に住んでいたマンションの彼の部屋は、小学校高学年になる頃にはすっかり絵の具の匂いが染み付いていて、朔はその匂いが嫌いではなかった。

いけない悪戯も、キスも、初めてのセックスも、全てがその部屋から始まった。

浩輔の子供部屋でありながら、何者からも侵されることのない聖域のような場所でもあった。

彼の部屋は最上階の角部屋で、近くにそのマンションより高い建物がなかったせいで見晴らしが良く空はいつもきらきらと輝いていて、四人家族でありながら不在がちな両親と兄のせいで、毎日がまるで浩輔だけのお城のようだった。

閉ざされた世界はときに二人を大胆にさせて、何時間もひたすらお互いの身体の違いを研究するのに没頭した。お互いの黒子の位置は目を閉じていても分かったし、朔は浩輔の指先によってキスも知らないうちに果てを知った。

今思えば、信じられないほど大胆なこともあの当時の二人は経験していた。そんなことばかりしていたというのに、胸の奥に仕舞った記憶の小箱の中でそれは朝露を照らす木漏れ日のように、今でも光り輝いている。

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