欲しがりなくちびる
情けなさそうに顔を歪めた彼女の目尻には涙の粒が光り、何かを堪えるように引き結んだ唇の端をきゅっと持ち上げると、困ったみたいに微笑む。

「お返事は急がなくていいから、考えてくれるかしら……」

そして、一拍間を置くと「美味しいスイーツのお店を見つけたから、朔ちゃんと一緒に行こうと思っていたところだったのよ」と儚げに続けた。


その日の夜。朔は寝る支度を整えるとすぐにはベッドに潜り込まずに、ドレッサーに向った。引き出しに仕舞ったままのジュエリーケースを久し振りに取り出してみる。

左薬指にそっとエンゲージリングをはめてみる。そこには、事情を知らないダイヤモンドが硬質な光を放っている。しばらく見つめたあと、胸の前に左手を翳して鏡に映る自分を確認する。何の表情も読み取れない顔を映っている。

ふと、暢と暮らすマンションを出るときに見掛けた彼の顔を思い出す。何を訴えかけていたのだろうか。その顔ももう、輪郭がおぼろげになっている。

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