欲しがりなくちびる
「ああ、やっぱり。先日は失礼しました。来ていただけたんですね」

ハンチング帽を被り、濃紺デニムにトレンチコートの前を開けてさらりと羽織った姿の相馬は、初対面の時とだいぶ印象が違って若く見えたがその特徴のある声で彼だとすぐに分かった。

「これから顔を出そうと思っていたところだったんですが、どうです? 少しお茶でも」

彼が笑うと扱けた頬に左右二本ずつくっきりと深い皺が浮き出て、朔はその様子を好ましく思えた。

前回と同じカフェに向かうと、案内されたテラス席で二人してエスプレッソを注文する。

「こういう言い方は失礼かもしれないですけど、画家の人って、なんていうか、もっと屈折して、自分の風貌に気を遣わない人ばかりかと思っていたから、全然違うんですね」

朔の言葉に相馬は豪快に笑って、コーヒーを一口啜る。

「ははっ、屈折か。言われてみれば、そうかもしれないですね。でも、人間生きてたら大なり小なり、みんなそんなものを抱えているんじゃないのかな。服はね、趣味なんですよ。学生の頃から好きでね」

彼は、朔の質問に丁寧に一つずつ応えていく。

「そうなんですね。実は私も洋服好きが高じて、アパレルに勤務してるんです」

「やはり、そうでしたか。先日も素敵な格好をしていましたが、今日の服装も似合ってますね。あなたは自分に似合うものを知っているようだ。……あ。何か余計なことでも言いましたか?」

濃紺デニムが大人の小洒落た印象を与えているのだなと、朔がもはや職業病のように観察していると、相馬は窺うように眼を瞬かせる。

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