甘いペットは男と化す
 
「矢代さん、その前にあたしのこと、何かケ…村雨くんに話しました?」
「え?何も?
 さっきも言った通り、プライベートな話は一切したことなかったし」
「そう…ですよね……」


それはあたしも、今聞いたばかりだ。

矢代さんの口から、あたしの名前は出たことがない。


あたしはただの受付嬢。
といっても、大きなデパートやビル全体の受付嬢でもないから、案内するためにあの場に座っているだけ。
だからネームプレートがあるわけでもない。


それなのに……




どうしてケイは、あたしの名前を知っていたの?




数日前に再会したとき、
驚くあたしとは正反対に、揺らぐこともなく素通りをしたケイ。

あたしに名前を呼ばれても、一切顔色も変わることなく、他人を見るような瞳を向けただけ。


会話をしたのは、ほんの少し。
ケイの本性が知れる、最悪な一コマ。

だけどあの時、名乗ってもいないあたしを、ケイは「おねえさん」と呼んでいた。


あたしの家に押しかけたときだって
ずっと人のことを「おねえさん」と呼び続けていたのに……。



「……すみません。矢代さん……。

 あたし…帰ります」


「うん。分かった」



立ち上がったあたしを、矢代さんは引き留めることはしなかった。


フラれたばかりの相手のはずなのに
その瞳は、あたしを応援してくれるような瞳で……



「ありがとうございますっ」



あたしは一言感謝の気持ちを伝えて、お店を飛び出した。
 
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