まどわせないで
 甘く掠れた声が、内緒話でもするように囁いた。いわれたと同時に我に返った小麦は、たったいま自分にキスを教えた男の胸を突き飛ばす。
 わたしに触れる手はあんなに温かく優しいのに、言葉は冷たく胸に鋭く突き刺さる。
 自分でもわかっていることとはいえ、毎回毎回如月さんの一言がこんなに影響力を持っていることに戸惑った。
 他の男性に同じことをいわれても、笑って対応するくらいわけないのに、如月さんにいわれると同じ言葉でも深く胸をえぐる。
 それだけわたしのなかで存在が大きいってことなの?
 そんなに長い時間過ごしたわけでもないのに。


 納得できない。
 思い返しているうちに、再び戸惑いと苛立ちが襲ってきた。
 フロアを回るウェイターが、トレーで運ぶたくさんのシャンパンのグラスのなかからひとつ取り上げて、一気に飲み干す。
 小麦を会場に連れてきた陸はというと、挨拶回りがあるからと、ひとりでさっさと人混みのなかに姿を消してしまった。知り合いのいない小麦はおいてけぼりで、すっかり壁の花に。

 連れてってとお願いしたわけでもない、陸の所属する事務所の社長の誕生日パーティー。
 別に、ひとりだって寂しくない。ないけど、連れてきた以上、ほったらかしはないでしょ!
 でも。
 結局そばにいたとしても、口を開けばわたしの痛いとこ突いてばかりのひとだもの。逆にひとりのほうが気楽にゆっくり食事を楽しめるかも。
 そう思っているのに、いうことを聞かない視線は紺のスーツを着た長身の男性を探している。
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