契約結婚の終わらせかた
「え?」
言われた意味がとっさには解らず、パチパチと目を瞬く。すると、男は苛立ったのか手を伸ばし私の腕を掴む。
「伊織の妻なのか、訊いてんだろ! このブス!!」
グイッと腕を引っ張られ、バランスを崩して体が倒れる。そこを助けてくれたのが、空くんだった。
彼は男の腕を掴むと、ギリギリと力を込めて締め上げる。「いだだ!」と男が呻いて、私の腕を離す。そこでようやく逃れれば、空くんが私を背中に隠して庇ってくれた。
「あんた、誰だよ? 碧姉ちゃんに何の用だ?」
「おれは、伊織の甥の息子だ!」
「……は?」
空くんが信じられない顔をするのも無理はない。空くんは伊織さんの複雑な家庭事情を知らないし、彼の母が後妻で30も上の相手に嫁いだことなんて。
既に結婚していた異母兄には跡取りの孫がいると聞いた。もしかしたら、今目の前にいる男がそうなんだろうか。
どう見ても伊織さんより年下ではあるけれど、学生くらいに見える。だから、にわかに信じられないのも無理はない。
「仮に伊織さんの血縁者として、そんなあんたが碧姉ちゃんに何の用だよ?」
「そんなの決まってらぁな」
フン、と鼻を鳴らした男は手のひらを差し出した。
「すっからかんなんだ。幾らか小遣いくれよ」
その後は怒り心頭になった空くんがその男を追い返してくれたけれど。
私の胸にさざ波がたち始める。
まさか……伊織さんを巡る複雑な事情が私たちの日常を壊すなんて。その時は考えもしなかった。