イジワル上司と秘密恋愛
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終業までの一時間、心臓はうるさく鳴りっ放しだった。
ドキドキと流れる自分の血液が耳に木霊して、考えても考えても頭の中がまとまらない。
なんで私を誘ったんだろう。綾部さんには“マリ”さんがいるのに、私とふたりきりで飲みに行くなんて、いいのかな。
ううん、そんな深い意味は無い。ただ気軽に、部下と一緒に飲みたい気分なのかもしれない。
きっと、それだけ。勘違いして舞い上がったりしないようにしなきゃ。
けれど、そんな風に考えてもソワソワした気分は収まらず、私は終業後のロッカーで何度もデオトラントシートで身体を拭い汗臭くないか確認し、いつもより倍以上の時間を掛けてメイクを直してしまった。
『PM七時に、地下鉄駅の五番出口前で』
綾部さんが送ってきたラインの指示通り、私は落ち着かない気分を滲ませながら地下鉄の出口前で待った。
考えてみれば、男の人とふたりきりで飲みに行くなんて大学の頃以来だ。もっとも、私が奥手なせいでその相手とは恋人にまで至らず終わってしまったんだけど。
そんな女としてふがいない思い出がうっかり頭に過ってしまう。
あまり楽しくない思い出を頭から掻き消そうと、顔を上げたとき。
「おまたせ」
目の前には暑そうにクレリックシャツの襟元を緩めた綾部さんが、落ち着いた笑みを浮かべて立っていた。