イジワル上司と秘密恋愛

『今日は行けません』

意地っ張りな文字を打っていたベージュグラデーションネイルの指先を止めるように、電話の着信音が手の中のスマホから鳴り響いた。

指先はそのまま否定の返事を隠すように現れた通話ボタンをタッチしてしまい、受話口から『もしもし』と呼び掛ける声が聞こえてくる。

『もしもし、志乃? 今会社出たとこだから、すぐ行く。先に店入って待ってて』

それはもう覆らない決定と同義の命令。彼の低く甘い命令の声に、私の本能は従順になってゆく。

今夜は話したくない、せっかく新しい恋に踏み出そうと頑張ろうとしているのを邪魔しないで欲しいのに。

なのに、あわく健気な決意は、電話の向こうから微かに聞こえる綾部さんの息遣いを聞いただけで吹き飛んでしまう。

きっと、早足で歩いてる。そんなことを想像させてしまう微かな息遣い。

——会いたい。もっと彼の吐息や熱を近くで感じたい。

愚かなときめきが私の唇を「分かりました、店内で待ってます」と、繰り人形のように動かした。

 
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