猫とカフェ
第1章

第1話

病院からの帰り道。
私は自分で頭の中の整理がつかずゆっくりと歩いてた。
手には1枚の診断書…明日から会社で働けなくなるようだ。
その日暮らしの派遣の短期の仕事すら出来なくなるなんて、夢にも思ってなかったし、明日からどうやって生活をしていけばいいのか分からない等の不安で一杯だ。
でも、もう一人の自分は少しホッとしている。
今回の職場が最悪だったからだ。
今日も嘔吐してフラフラでも皆見て見ぬふり…具合が悪くなるのは自己管理ができていないと冷たい目で見られるだけ。早退しづらい空気をビシビシ感じながら、職場で倒れて迷惑をかけるのも嫌だったので、上司に報告した。半ば疑った目つきに少し苛立ちを覚えながら、青ざめた顔色のままやっと会社から出る事が出来たのだ。
病院に行くと言っても、風邪ではないという事は自分でも分かっていた。明らかに職場が原因だと…動物的なカンが働いたのだ。
出勤前になると必ず下痢でトイレの往復。私は少し前に職場付近のカフェでカフェラテを飲んだり、パンが食べれる位の余裕のある朝が好きなので、無駄に早く家を出ていた。
ここ最近は、そのカフェに着いても下しており、体重も落ちてきていた。何より、職場に着いてからの手の震えや嘔吐感が継続しているので、普通の風邪ではない確信があった。
会社から早退した私は、まず病院の予約を取る為の電話を掛けてみた。
生まれて初めての心療内科へ…
ドキドキしながら予約の電話を掛け、一軒目はNG。二軒目もNG。三回目のクリニックの電話は祈るしかなかった。今日は予約で新規は取れそうもないが、私の声のトーンから察してくれたかのように、夕方からだったらいいですよと言ってもらえた。心療内科の予約ってどれだけ多いんだろう…。
嘔吐感が少しは落ち着いているが、相変わらず具合は悪い。早く何とかしてほしい気持ちをグッと我慢して、近くのカフェで予約までの時間を待つ事にした。
時間が近づいてきたので、一旦クリニックの場所を確認する為カフェを出る事にした。初めての場所で、もし迷ったら…具合が悪いのに必死にダッシュして向かう事になる。そこは避けたい。
おおよその場所はスマホを使って調べていたので、運良く迷わずに着く事が出来た。

ヤバイ…まだ時間があり過ぎる!予約時間の30分前だ。時間に遅れるという事が無いように生活をしてきているが、大体いつも早く着きすぎる。ただ…今はもう近くのカフェを探す気力も無かったので、そのまま中へと進んだ。
エレベーターで上へ上がり、着くと白を基調とした清潔感のあるクリニックが見えた。自動ドアが開き中に入ると、受付の優しそうなおばさんが応対してくれた。予約時間より早く来てしまった事を伝えると、番号札を渡され待合席に案内された。椅子に深く腰を掛け、目を閉じて静かに待った。川の水が流れる音がBGMとして流れていたが耳ざわりではなかった。
しばらくして私の番号が呼ばれ、看護師さんに小さな別室に案内され問診を受けた。優しい声で質問されているうちに、自分でも分からない間に涙が溢れてきて止まらなかった。
なんでもない質問に、答えるだけなのに、涙が止まらない。
ティッシュを手渡され、残りの質問が終わると看護師さんは部屋を出て行った。自分でも不思議だが、涙は中々止まらなかった。
診察室に入ってからの事は、泣いた後で頭がボーっとしていたのか、あまりよく覚えていない。
先生からは診断書を書くので、とにかく今の仕事はすぐにお休みする様に伝えられ、今の症状に効く薬を何種類か処方された。
クリニックを出て、近くのコンビニで水のペットボトルを買った私は、まず処方された薬の吐き気止めをすぐ飲んだ。それからとぼとぼとゆっくり帰り道を歩いて今に至るのだ。
いつも乗るバス停を通り過ぎてそのまま歩いた。頭の整理がまだついていないし、まだ吐き気がある状態で乗るのも怖かった。しばらく歩いているうちに、少し足どりが軽くなってきた。
コンパクトの鏡で自分を覗きこむと、顔色が少し戻ってきている。
これならバスに乗れる!次のバス停が見えてきたので、そこから乗る事にした。バスの中で必死に色々考えようとしたが、頭が真っ白な状態で上手く整理は出来ないままだった。バスを降りてからふと朝から何も食べてない事に気づいた…
ひとり暮らしの私は、こういう時でも買うか作る選択しかない。更に家には猫が一匹いて、今日の朝で缶詰めが無くなった所だった。
仕方がないのでコンビニに寄り、猫の缶詰めと自分用の食事を買う事にした。マンションに着くと、鍵を開ける前からドア越しに気配がある。
「まぁ~ごぉ~…」
猫とは思えぬ可愛くない鳴き声…まさしく私の同居人だ。

ドアを開けると、同居人は嫌がらせのような可愛くない鳴き声を大きくさせた。
「まぁご~ぐあ~ご~」
こちらを睨みつけながら、エサの催促は続いた。私の気持ちなんて分かる訳がないのでしょうがないけど…可愛い猫なら、こんな時癒しになってくれるんだろうな…。エサを同居人の前に差し出すと、遅いと言わんばかりにフン!と鼻をならしながら食べ始めた。
名前はフェスタ。触られるのは嫌い、鳴き声は遠吠えのようで可愛げがない、目つきは悪い。すり寄って来るのは私が甘い物を食べている時か自分の好物を私が食べている時だけ。こんな可愛くない猫は初めてだった。
そもそも、フェスタを飼う事になったのは私が一人暮らしを始めた事がきっかけだった。以前、私は母と妹の三人暮らし。経済的な理由で負担をかけないよう自立し今のマンションでの生活を始め、ここがペット可という事と、引越しの手伝いに妹が来てくれた際にたまたまフェスタも連れてきていて、帰ろうとしても中々ゲージに入らず動こうとしなかった為置いて帰ったのが始まりだ。
私になついている訳ではないし、どちらかと言うと自分のわがままを聞いてくれる母や妹が気に入ってるように見えるくらいだ。
「はぁ…」
ため息しか出ないが、フェスタにつられて私も何か食べようと冷蔵庫を探る。
ナッツとブルーベリーのパンがあったので、それを温めている間にプリンを食べる事にした。プリンのフタを開けるとフェスタの視線を感じる。フタついている
生クリームが目当てなのだ。ワザと知らんぷりをしそのまま食べていると、私の座っている椅子まで登ってきて、1センチくらいまで顔を近づけてくる。
欲しいと無言でアピールしてくるのだ。
仕方ないので、フタを床に置くとペロペロ舐めだした。
「こっちはブルーなのに自分はいいよね…エサも貰えて、デザートまで貰えて後は遠吠えするか寝てるか睨むかで暮らして行けるんだから。私なんて明日からどうやって生きて行けばいいのか分からないのに…」
自然と愚痴がこぼれる。
「あんたを外に放して、私も当てもない旅にでも出ようか…。あんたの飼い主は明日から生活に困ると思うから、エサももうあげれないかもだよ」
マイナスな言葉が次々と出てきた。
「療養はお金があれば出来るけど、私はギリギリの生活だし…お金があればな…」
フェスタをボーっと見ながら一人で返答もない会話を続けていた。

電子レンジのアラームがなり、ハッと我に返る…
とりあえず、パンを食べよう。食欲はないが何か食べて少し気分転換をしよう
!自分を奮い立たせパンをほおばった。
いつもは美味しいパンだけど、今日は何となく味が分からない。
40歳を目の前にした独身女性が、明日から急に職を失う不安…親や妹にも相談はしづらい。おまけに原因は精神疾患…自分でもまだ理解に苦しむ内容だ。
胃潰瘍(いかいよう)や盲腸みたいに目で見て分かる病気ならまだ言いやすいが、ストレス的な病気なんて理解してもらう事は困難だと思う。
経済的にも頼れない分、相談しても嫌がられて責められるだけだ。
余計な心配も掛けたくないし通院も長引くに違いない…こういう病気は風邪と違ってすぐには治らないはずだ。後で診断書の病名をもう一度きちんと見て、ネットで調べてみよう…考えれば考える程不安が膨らんでいくばかりで、どうすればいいか本当に分からず涙も出てこなかった。
生活力もなく、若くもなく、学歴もない…取り柄なんてないし、大した資格もない女性ってどうやって生きて行けばいいのだろう…
「私なんて消えた方がいいのかな…」
かすかな声でそうつぶやいていた。
その時…
「それは止めといてくれ」
誰かの声がしたようで、振り返った。誰もいるはずがない
幻聴が聞こえたのか?一人暮らしで幻聴が聞こえるようになるとヤバいと何かで読んだ記憶がある。精神的な病気の判明した為、症状が出だしたのか?
「気持ち悪っ!」
自分で自分に吐き気がし思わずそう言っていた。
「……あ~面倒くさいな」
また声がした。今度ははっきりと聞こえた…幻聴がクリアに聞こえている。
しかも声は男性だ!
「説明が面倒くさいから、省きたいくらいやけど…」
声が足元から聞こえてくる。
見たくはないけど、下を見るしかなかった。
念の為、金縛りに合ってないだろうかと腕が動くか確認してみる。
霊感がこの歳になって出てくるのも何か変だし、普通そういうのって子供の時に見てはイケナイ者が見えたとか、心霊番組でやっていた記憶が…と下を見ようとしているのに、自分の中で理由をつけて中々見る事が出来ない。
今、家の中に武器になるような物といってもゴキブリ退治のスプレーか、漂白剤か塩くらいしかない…しかも塩を取りに行くといってもここからでは微妙な距離感がある。
そうだ!こんな時猫は役に立ってくれないだろうか
多分、言う事は聞いてくれないけど動物的な気配で霊とかを察知して追い払ってくれたと何かで聞いたことがある!
「フェスタ!」
少し叫び気味に、思わず下を向いてしまった。
ヤバい!!
フェスタを呼ぶつもりだったのに、怖い足元に視線を落としてしまったのだ。
「……」
足元からフェスタがこちらを見ている。
「えっ…もしかして呼ぶ前に先に追い払ってくれてた?」
少しフェスタが頼もしく思えた。いつもはわがままで言う事も聞かず、なつかない猫だけど、いざという時こんな風に助けてくれたりするんだ…正にグッジョブだ。いい働きをしてくれた。飼い主の危機に対応してくれたのだ!
感謝の気持ちで頬ずりをしたくなり、フェスタに近づいた。
「ありがとね~何かを追っ払ってホントありが…」
無愛想な顔のフェスタにお礼と言いかけた時
「はぁ…やっぱり面倒くさい」
同じ声を発したのはフェスタだったのだ。
「!!えっ!今の声フェスタなん?」
「だったら何か?」
ちょっと冷静になろう…今明らかに会話した。猫と会話した。
このタイミングでなんで普通に話せているのか不思議でしょうがない
「だって、この状態だと夢か何かだと思うのが普通の人の反応じゃない?だって猫と話せる訳ないし、話せた方がおかしいでしょ」
「まぁ、とりあえず向こうで話そうか」
フェスタは私の驚いた様子は全く無視して普段どおり四足で歩き、テーブルに向っていく…
頭が回らない私は言われるままに後に続いた。
「端折るけど、そこそこ話しに時間かかるから冷蔵庫の中にあるプリンでもつまみながらでどう?二個入ってるやろ?」
テーブルの前にプリンを黙って準備し、フェスタはテーブルの上に、私は椅子に腰をおろし、お互いに目線の位置は揃っていて向き合った状態だ。
「俺は聞こうと思えば会話が聞ける。話す事もできる。こうやって耳をピクピクさせている時だけな。自分らとの暮らしも、貰われて来てからで計算すると12年目ぐらいやろ?」
「はい…」
緊張のあまり思わず敬語になった。
「生活はじまって長いから、色々こっちとしても分かってるつもりや」
「はい…」
皿に盛ってあるプリンを一口食べると、二マッと一瞬表情を変え話を続けた。

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