一年の華
―――…。
「…――せ君………おーい、村瀬くーん。」
その声にハッと体を起こすと、教卓から現国の担当の教師がこっちを見ている。
「村瀬君、問三の答えは?」
「…すんません。聞いてませんでした。」
「現国は寝る時間じゃありません。ちゃんと起きて話を聞いていてください。」
はい、と小さく呟き、首を縦に振る。
急いで机の中から教材を出し、マサヒロをチラッと見ると、それに気付いたマサヒロはこっちを見てニヤッと笑った。
現国が終わり、十分の休み時間になると、マサヒロは笑いながら俺の席に近寄ってきた。
「授業前に起こしてくれてもよかったんじゃねぇ?」
「いやいや、ぐっすり眠ってたから起こしたら悪いかと思って…。」
「んなもん一ミリも思ってねぇくせに。」
マサヒロとは幼稚園の頃からの付き合いだが、こいつは薄情だ。
大人からは、落ち着いていてよくできた子と言われていて、容姿もそれなりに整っていていつも愛想がいいため評判はいいが、俺から見れば、親友さえも心の中では笑いの種にする、天使の仮面を被った悪魔。
親には「少しは寺岡君を見習ったら?」とか何とか言われているが、マサヒロの本性を知らない人間にそれを言われても説得力が無い。
そんなマサヒロとなぜ仲が良いのかも、よくよく考えてみれば不明。
「なぁ…アキト…。」
「んあ?」
顔を上げると、マサヒロは俺の顔でも窓の外でもない、ある一点を見つめていた。
視線を追うと、そこは佐々木未琴の席だった。
「なんだよ。」
「今日さ…佐々木さん来てないよな…。」
「そうか?知らねえけど。何で?」
「今まで一度も休んでないから、珍しいなと思って。」
「ふーん。」
佐々木未琴…か。
「みこと」って可愛らしい名前に似合わず、顔全体を覆った長い前髪。
一ヶ月半前の入学から誰も顔を見たことがないらしい。
あまりに不気味過ぎて、クラスメイトは苛めるどころか、怖くて避けている状態。
通称「不気味ちゃん」。
頭がよく、入学テストで一位だったらしいが、俺はそんなことはどうでもよかった。
問題は、不気味ちゃんのことをどうしてマサヒロが気にするのか。
マサヒロに何かしらでいつも負け続けている俺は、小学校ぐらいの時から密かにマサヒロの弱点を探っている…が、この9年間、一つとして見つけられていない。
不気味ちゃんはマサヒロの弱点に繋がるのか、否か!?
考えられることとすれば……、マサヒロは不気味ちゃんのことが好き…とか?
いやいや、有り得ない。
一度も話したことは無いはずだし、そもそも、あんなに見た目の怖い女を好きになるはずが…。
「…ん?あれ?」
「どうした?」
マサヒロは今まで女を好きになった素振りを見せなかった。
俺が鈍いだけなのかもしれないが、もし仮に今まで女を好きになってなかったとしたら?
好きにならない理由が見た目だとしたら?
マサヒロのタイプが、不気味ちゃんみたいな暗ーい女だったら!?
「マサヒロ…っ!」
「うぉっ!なに!」
急に立ち上がった俺に少し驚いてのけ反るマサヒロの顔を見ると、ますます自分の仮説に自信が湧いてきた。
「おまえ、佐々木未琴のことが好きだなっ!?」
教室が静まり返る。
そして十秒後、周りがざわめいた。
「寺岡君ってあんな人が好きだったの!?なんであの女!?」
「うっわー。寺岡、趣味悪っ!」
マサヒロはというと、ぽかーんと口を開けたまま俺を見ていた。
「お前がさっき佐々木未琴を気にしたのは、それが理由だろう!」
だめ押しもらった!と思った瞬間だった。
「お前、本当のバカか?」
そう言ったマサヒロは、どうしたものかと言いたげな顔をしている。
「え、違うのか?」
「違うよ。俺が佐々木を気にしたのは、俺が今日の日直で、日直日誌に欠席者・早退者・遅刻者を書くためだよ。」
その言葉を聞いたクラスメイト達は、さっきの態度を翻し、「ま、そうだよねー。」とか言って納得している。
「えー。」
「えーって何だよ。」
問いただすマサヒロを他所に、俺は椅子にへたり落ちた。
やっと弱点が見つかると思ったのに…。
大きな溜め息をつくと、「幸せが逃げるぞ。」とマサヒロに言われ、すぐに吸い込む。
「バカだな。」
「バカバカ五月蝿い。」
その時、教室の入り口から佐々木未琴が入ってきた。
さっきの俺の発言もあってか、その場にいたほとんどの人間が佐々木を見ている。
そんな佐々木に、マサヒロは日直日誌を掲げながら笑って近付いた。
「佐々木さん。佐々木さんは今日は遅刻ってことでいいんだよね?」
勇者マサヒロ!
周りの人間は皆、尊敬の眼差しでマサヒロを見た…が、佐々木はそんな周りの状況などは少しも気にせず、マサヒロに小さく頷くとすぐに席についた。
髪に隠れた素顔はどんな顔なのだろう。
俺は佐々木を眺めながらそう思った。
「アキト、次は音楽。」
「睡眠学習に決まりだな。ていうか、今寝たい。」
机に再び伏せると、後頭部をすごい力で叩かれた。
バンッと勢いのいい音がする。
「いってェ!何だよ、急に!」
「お前の要望通り、授業前に起こしただけ。」
「…ひど。」
結局俺は、頭の痛みを紛らすために寝て、放課後、担任に呼び出しをくらった。