一年の華
俺の後ろでゆっくり歩くマサヒロの姿を想像しながら教室のドアを開けると、既にちらほらとクラスメイトが来ていた。
息切れをしながら教室に入ると、昨日女子生徒が眠っていた席に佐々木が座っていて、静かに本を読んでいた。
相変わらず髪を垂らして顔を隠していて、視線がどこに向いているのかすら分からない。
俺は頭の中で、昨日の女子と佐々木が同一人物であることを必死に否定した。
佐々木の横を通って自分の席に向かう。
絶対に昨日の事は見間違いだ、と鞄を机に置きながら自分に何度も言い聞かせる。
思考を紛らそうとマサヒロと話そうとしたが、マサヒロをおいてきてしまったことを思い出して後悔する。
佐々木と同じ空間にいたら昨日の事を口に出してしまいそうになり、一旦トイレに行こうとすると、担任が教室に入ってきた。
「おっ、村瀬、ちょうどよかった。少し手伝ってくれ。昨日の罰として。」
「げっ!」
思わずそう言ってしまったが、気を紛らすには持ってこいかもしれないと思い直し、はい、と答える。
「あともう一人ぐらい必要なんだが……。」
教室を見回した担任は、視線を止めて言った。
「佐々木、手伝ってくれるか?」
「ちょっと待てー!何でそのチョイス!?悪魔か?お前は禿げた悪魔なのか!?」
脳内の俺は必死にそう叫んだが、そんな俺の気持ちとは裏腹に、佐々木は机に本を置いてこっちに歩いてきた。
来るなっ!断れっ!さっさと断れっ!お前も悪魔なんかー!?俺は知ってる!お前は本当は天使だ!!悪魔になんかなりたくねぇだろ!?だったら断れー!!!
…と思っていたが、三分後、俺は担任に連れられて佐々木と一緒に資料室の前に立っていた。
この学校では数少ない開きドアを開けると、印刷インクと埃の匂いがした。
中には大きな机があって、上にはたくさんの紙の山が2つ積まれている。
「朝から悪いなー、二人とも。この資料、今度の保護者会で使うやつなんだが、二種類あるから1組にしてホチキスでとめてほしいんだ。ホチキスは確か……まあ、この部屋のどこかにあるはずだから探してくれ。じゃ、任せたから。」
適当な説明を終えた担任は、俺の肩を叩くと資料室から出ていった。
…何でこんなことに…。
動く気力も無くドアに凭れて項垂れていると、隣に立っていた佐々木はスッと動き出し、ホチキスを探し始めた。
髪で隠れた顔を俺はじっと見つめた。
よく見れば、昨日の女子と同じく体のバランスが整いすぎているほどだ。
昨日見たことは間違いではないのかもしれない。
「佐々木。」
俺の声に反応した佐々木は、動きを止めて顔をこっちに向けた。
「…あのさ…昨日見たんだけどさ……その……。」
口籠る俺は、まだ確かめるべきか迷っていた。
このまま知らないふりもしようとすればできる。
佐々木が隠す理由が、本当の顔を知られたくないからだとしたら、言わないほうが佐々木のためにはなる。
でも俺は知りたくなった。
煙たがられてまでその美しい顔を隠す理由を。
「俺、佐々木の顔を見た。放課後に寝ていた佐々木が起きたときに、廊下から見てた。」
どんな反応をするだろうか。
微かな罪悪感に包まれる。
「……。」
でも返ってきたのは意外な反応だった。
「そうなんだ。見たんだ。」
透き通るようなソプラノの声で佐々木は言った。
前髪を両耳に掛け、顔を露にした。
美しい。
その一言だけが…いや、それ以上の言葉が必要だった。
大きな澄んだ瞳で佐々木は、見惚れて声も出ない俺を見据えて言った。
「秘密にしていてくれますか?このこと。」
「…あ…え…。」
「お願い。誰にも言わないで。」
その必死さが本物であることは一目瞭然だった。
「お願い…。」
「……別にいいけど…。」
何故そんなに隠したいのかはわからない。
でも、その秘密で目の前で泣きそうになっている天使を苦しめたくはなかった。
それに…
「ありがとう…本当に…。」
儚く消えそうな笑顔を向けられ、後悔はなかった。