花護姫の鎮魂歌
第2話:ユミル王国
波は穏やかだった。潮の香りが鼻をすり抜けるのを感じながら、甲板へと出る。船に揺られつつ船首へ歩いていけば、静かに前を見据えるミナトくんの姿があった。


「ミナトく…」


その背中に歩み寄りながら声をかけようとしたが、その声は途中と途切れた。足元に無造作に置かれていた縄に引っかかり、顔面からびたんと転んでいたからだ。

鼻を強打した痛みに悶絶していると、冷ややかな視線を感じ顔を上げれば、案の定ゴミ虫でも見るかのような表情でこちらを見つめるミナトくんと目があった。


「ずいぶん体を張った気の引き方だな。ドジ巫女」

「そ、そういうつもりじゃ…」


すん、と鼻をすする。…大丈夫、鼻血は出ていないようだ。改めて彼の傍に寄って、船首に立つ。もう大きな城が目の前に見えていた。綺麗な白い城壁、城の周りには色とりどりの花が咲き乱れている。


「あのお城がユミル王国?」

「…ああ。お前を捕まえたって国王に報告しないとな」


潮風が前髪をさらう。自然と握りしめていた拳に力が入っていた。

戦争とは無縁の時代に生まれたと思っていた。海を超えた国々ではまた違うのだろうか。私は…生きて日本に帰ることができるのだろうか。

手は無意識の内に首に下げたペンダントを握りしめていた。今は生きているのかも分からない母からもらったお守りである。青空に勇ましくはためく国旗を見上げた。ミナトくん達の纒うマントに施されたエンブレムの装飾と同じ模様。描かれたイキシアの花言葉は団結。国王らしい、と呟くミナトくんの言葉をぼんやりと聞いていた。



城下町は戦争中だというのに、人々の笑顔が印象的だった。私と歩くミナトくんやノア達、列を成して歩く騎士の人達に憧れにも近い眼差しを向けるのだ。命を賭して国を守る騎士達を、国民は声高に称賛する。彼らは英雄なのだと。

城下町を通り城へ。立派な大門を守る屈強そうな騎士とミナトくんが言葉を交わし、開かれた門をくぐる。彼らの私を見る目が妙に優しいような気がした。…いや、あるいは憐れんでいるような、そんな表情。

玉座に通されると、騎士達は握り拳を左胸に当て頭を下げた。この国ではこれが敬礼のようだ。そしてその敬意を一身に受ける王様は、私達が思い描くサンタクロースのようなふっさりと白い髭をたくわえていた。優しげに垂れ下がった目尻。一目で彼が心優しい人物だと伝わってくる面持ちだった。国民が笑顔で暮らしているのも、ミナトくん達騎士が忠誠を誓うのも、その理由が分かったような気がする。


「君が神懸(かみがかり)の巫女か。名はなんというのだ?」

「あの…かのんです」

「かのんか…いい名前だ。…すまない。私が不甲斐ないばかりに、このような宿命を背負わせることになってしまって…」


王様自ら玉座を立ち、私へ歩み寄るとそっと両肩に手を乗せた。そして慈しむような手つきで何度も頭を撫でる。まるで我が子に接するかのように、その手は優しく温かかった。王様の指す『宿命』の意味がよく分からず問いかけようとした刹那、それを遮るようにしてミナトくんが声を発してきた。


「国王、それ以上は」

「…そうか、すまない。ミナト達もご苦労だったな。ゆっくり休むといい」


まるで何か言い掛けた王様の言葉を私に聞かせたくなかったような雰囲気。私に知られたくない何かがあるような不自然なやり取りだった。胸の中に小さく芽生えた疑心暗鬼を、見て見ぬふりした。今の私には全てを委ね信じられる人などいない。それを直視するのが怖くて。

黄金の瞳には色濃い影が宿り、長いまつげが揺れるのを傍らのノアが無言で見つめていたが、足元の絨毯に視線を落としていた私は、気づくことができなかった。



ほとんどの人間が退室した王室にミナトは残っていた。先程よりも表情を崩した国王が呼び止めたのだ。自分を慕って仕えてくれる者達の前では国王らしく、だが本来の姿は年相応の普通のおじいさん、そんな言葉がよく似合う人だった。そんな国王の前でだけは普段仏頂面のミナトも、心なしか柔らかい顔つきでいた。


「少し見ない間にまた逞しくなったな、ミナト」


ぽんぽんとまるで息子にそうするように頭を撫でる国王に対し、ミナトも素直に撫でられたままでいた。親子みたいな微笑ましい光景。


「もうここを経つのか。今夜くらいゆっくりしていったらどうだ?」

「いえ。他国に出ている仲間と合流次第、一刻も早くあの巫女を神殿へ連れていきます」

「…騙すような真似をさせてしまうな。辛い役割を与えて本当にすまない」


しゅんと申し訳なさそうに眉を下げる王の表情はまるで親に怒られた子供のように素直なもので、それが真意なのだと伝わってくる。ミナトは緩い仕草で首を振り、小さく微笑んだ。


「俺はあなたを守るためなら、何でもします。そのために騎士になったんだ」

「どうか無事に帰ってきてくれ。私にとってお前の存在が何よりの支えだからな」


つり目がちな瞳の中、ルビーのような紅色が珍しく柔らかい光を宿していた。



案内された部屋は寛ぐにはあまりにも広く豪華で、逆に背筋が伸びてしまう。ここで大人しくしているよう言われたものの、どうにも落ち着かず部屋内をうろうろしていた。次第に部屋の外が忙しなくなり始め、少しだけと言い訳をしながら部屋を出た。

廊下をパタパタと走るのは騎士達や白衣を纏う人達。ふと目の前に包帯が転がってきた。


「これ落としましたよ」


白衣に身を包み清潔感漂う真っ白なバンダナで髪をまとめた女性が、私の声で振り返った。20歳もいかないくらいだろうか。ありがとうと包帯を受け取った女性だったが、私の姿を確認するなりかすかに表情を固くした。


「何かお手伝いしましょうか?」

「…いえ。お気になさらず」

「でも…」

「何もなさらなくていいんですよ。巫女様は存在自体が特別な方ですから」


優しげな彼女の口から出た明らかな拒絶だった。穏やかな声色ながら、有無を言わさぬ雰囲気に思わず口をつぐむ。


「アリサ!はやくー!」


自分を呼ぶ声に反応したアリサという女性は私に小さく会釈すると、長い栗色の髪を翻しつつ廊下を駆けていった。その後ろ姿をぼんやりと眺めながらこぼれたため息は、酷く深くて重いものだった。

私、ここにいてもいいのかな…。


「まったく。ミナトにしろアリサにしろ、人見知りばっかで嫌になっちゃうな?」

「へっ?」


突然頭上から降ってきた声にはっとすると、すでにノアによってがっちりホールドされていた。後ろから抱きつくようにして身長の余った彼は私の頭に己の顎を乗せて、やれやれとため息をこぼす。


「ちょ…あの!離れてください!重いですーっ」 


じたばたと暴れていれば、ノアは不満そうながらも腕から解放してくれた。気配もなく後ろに立つのは反則だと思う。それに何より、彼のスキンシップは心臓に悪いです。


「それより何かご用ですか?」

「ん。かのんが元気ないみたいだったから、励ましにきた」

「え…」


綺麗な若草色の瞳を細めて笑う彼の言葉に、思わず胸が熱くなる。それが彼の本心なのか、はたまた何か別の目的があるのかはわからないけれど。それでも私の様子を気にかけてくれる気持ちが嬉しかった。彼の穏やかな眼差しに見守られ口を開きかけた瞬間。


「ちょっとノア様ぁ。今回の任務から帰ってきたらデートしてくれるって言ってたのに、またすぐ発つってどういうことよー!」


不満たっぷり、とばかりに頬を可愛らしく膨らませたお姉さんが駆け寄ってきたかと思えば、ノアの腕に抱きつき甘えてみせる。

デート…彼の恋人だろうか。

私は開きかけた口を、再び固く閉ざした。あっけにとられている間にも、ノアを囲む女の子達が増えていく。すれ違う誰もが思わず振り返ってしまうような容姿に、手慣れた女の子の扱い。自分の周りの女の子の頭を撫でる彼を見て、妙に納得できた。女の子全員に優しいんだ、ノアは。

楽しそうな話し声を背に、そっとその場を後にした。

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