花護姫の鎮魂歌
第1話:神懸の巫女
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夜も明けきらぬような薄暗い空からは、しんしんと真っ白な雪が降り続いていた。早朝とも言える時間、辺りは静寂に包まれていて人の気配すら感じられない。身を切るような冷たい風が吹けば、それまでせっせと雪かきをしていた少女の華奢な体が震えた。


白い小袖と緋袴に身を包んだ少女、花護(はなもり)かのんは白い吐息をこぼしながら、羽織っていた上着に手を引っ込め身を丸める。その小さな背には、花護神社と彫刻の施された看板を掲げる木造の拝殿が、厳かに鎮座していた。花護神社。その筋の人の間では名の通った場所のようで、代々花護家の女性が治めている。花護家の女性は生まれながらにして皆霊感が強い家系らしいが、残念ながら彼女にはそういった類の能力の兆しは見えなかった。歴史を感じさせる建物も今やすっかり雪化粧。鳥居から拝殿へ続く参道だけは地肌が露わになっていて、かのんの涙ぐましい努力がうかがえた。


絹のようなさらりとした黒髪は肩までのボブで、後ろ髪は腰まで伸び純白のリボンで結わえたそのシルエットは、巫女服にもよく映えて見せた。子供のように赤く染まった頬は、ただでさえ幼い顔立ちの彼女をさらに幼く見せ、庇護欲に駆られるものも少なくないだろう。寒さに震えながら眉を下げ踵を返す。


「参道は片付いたし、もういいよね…うう。寒い」


ぶつぶつと文句を呟きながら足早に部屋に戻ろうとした時、一際強い風が吹きつけ反射的に目を閉じる。その刹那強い力で腕を掴まれたかと思い驚いて目を開けた時には、何者かに羽交い締めにされていた。



「な、なに…?何なんですか…!離して!」


突然の出来事にパニックになりながらじたばたと抵抗を試みるが、体はびくともしない。首だけ捻り正体だけでも確認しようと振り返る。雪風にさらりと揺れる漆黒の髪と、敵意のような鋭く底冷えする冷たい光を宿した紅蓮の瞳が、彼の綺麗な顔立ちをさらに引き立て美しく見せた。成人としては、やや小柄ではあるが男だ。しかも見知らぬ。喜怒哀楽のない完全な無表情が怖くて、小さく息を飲み込んだ。


逃げなきゃ…!

叫び声をあげようと口を開きかけた瞬間、突如目の前で大きな竜巻が上がる。足元が大きく揺れまともに立っていられなくなったかのんを、羽交い締めにしていた青年が自分の背に回し邪魔だとばかりに突き飛ばした。そして剣をかざし真空を一太刀、斬りつけたかと思えば竜巻は真っ二つに割れ二箇所で大きな爆発を起こす。

煙の中でゆらりと影が揺れ、その煙が晴れると深い闇を思わせる陰を内包した灰色の瞳が、風になびく少し長めの前髪からこちらを見据えていた。まるで感情の動きを忘れてしまったかのような色のない表情は、いくら人目を引くほどの容姿とはいえ得体の知れない不安を誘う。


「何か起きてるの…?この人達は一体…」


情けないことに腰を抜かした私はずりずりと後退り二人から逃げようと考えるも、それは浅はかな計画だと思い知らされる。壁でもないただの空間なのに、まるで結界でも張られているかのようにそれ以上先に進めない。見えない壁が私を逃がすまいと行く手を阻んでいるのだ。

「神懸の巫女を渡してもらおうか」

「奪ってみろよ、力ずくでな」


困惑する私などお構いなしに、二人の戦闘が勃発。二つの剣が閃光を放った刹那、ぶつかり合う刃が激しい衝撃波を巻き起こす。アスファルトはビキビキとひび割れていき、クレーターみたいに地面が陥没してしまった。

青年が左手に握った剣を横手に差し出すと、どこからか発火し激しく燃える火炎が剣を覆う。渦巻く炎が龍の形を成せば、相手めがけ火龍が雄叫びを上げ襲いかかる。男性は片手を突き出し、あっけなくそれを消滅させた。


「忘れたのか。俺にはお前の火炎は効かない」

「無効化か。お前らしい卑怯で臆病な魔法だな」


これが俗に言う殺気なのか、さっきから肌がぴりぴりと微弱な電気を受けているみたいに痺れていた。立つこともままならない振動と二人の殺気に、呼吸もままならず隅で小さく這いつくばりその場にいるのが精一杯。

事あるごとに刺々しい言葉を放つ青年の声色には、強い怒りと軽蔑が滲み出ている。それを感じ取っているのか、男性は感情の見えなかったその端正な顔にかすかな憂いを宿らせた。けれど戦いは終わらない。再び強くぶつかり合う彼らは疾風怒涛の勢いで、互いの背を取っては斬りつけ、切り返しては追撃のどちらも譲らぬ攻防戦。


決着の見えない戦いは、第三者の参戦によって終止符を打った。次々と斬撃を放つ青年をかわしていた男性が、突如軌道を変えた斬撃に一瞬反応が遅れ、その一撃をまともに受けたのだ。爆発によって辺りは粉塵と砂埃に包まれる。空間を歪め青年の攻撃をアシストした人物は、からかうような口調で口にしたのは普段は呼ぶことのない青年の肩書き。


「苦戦してるみたいじゃん、騎士長?」


青年側についた第三者の彼はこちらからは背中しか見えず、分かったのは長身であることと猫っ毛の髪が赤橙色をしていたこと。そして明確な勝敗を見届けないまま、酸素不足で霞んできた視界は真っ暗闇の中へと閉ざされた。




「この子が例の巫女様かー。ってか日本人てちっちゃくて可愛いな」

「お前の趣味はどうかと思うが…刻印は本物だ。間違いない」


朦朧とした意識の中、楽しそうな声と淡々とした声の2つの対象的な声が聞こえてきた。そして誰かが……頬をつついている…?


「………」


だんだんと覚醒していく意識。重たいまぶたを持ち上げれば、私の頬をつついて遊ぶ青年と目があった。目鼻立ちのはっきりとした端正な顔立ちに、 モデルのようにすらりとした体型。癖っ毛なのか毛先はぴょんぴょんとはねていて、翡翠のような綺麗な瞳に思わず吸い込まれてしまいそうになる。


「あ、起きた。おはよ」

「…おはよう、ございます……?」


くしゃっと屈託のない笑顔を向けられ挨拶を返すものの、ふとすぐ傍の青年が目に入りばっと体を起こした。神社で私を羽交い締めにした男だ。見覚えのない辺りと私を囲む人達を見回し、徐々に己の身に迫る危険を感じ始めた。


「ここはどこですか?あなたたちは何なんですか?私を…どうするつもりですか!」


後退りをしながら、目の前の青年たちと距離を取る。見知らぬ人間に囲まれたこの状況ではいくつでも疑問が浮かんできて、矢継ぎ早に質問を投げかけた。

すると逃がすまいと思ったのか、人懐っこい笑みを浮かべた青年がずいっと私が取った分の距離を縮めてきたため、再び逃げ場を失ってしまった。…もとより、この人数に囲まれてしまっては逃げることなど不可能なのだけど。

ちらりと周囲の様子をうかがい、緊張感を保ち続ける。


「じゃあ自己紹介。オレはノア、んでこっちの無愛想なのがミナト」


よろしくな、と言いながらノアと名乗った青年は慣れたような仕草で私の手を取ると、手の甲にキスを落とした。


「!?えっ、な…ええ…っ!?」

「あはは。可愛い反応」


予想外の行動に狼狽える私とは相反し、周囲の反応は至って薄いものだった。まるで日常茶飯事だとばかりに呆れ顔をしている。一気に頬が熱くなるのを感じつつ、慌てて手を引っ込めると彼は残念、と肩を竦めた。そんなやり取りを無言で見ていた、先程ミナトと呼ばれていた青年が目の前に立ち私を見下ろす。


「お前にはこれから俺達に付いてきてもらう。拒否するならこの場で殺す。逃げようとしても殺す」


どうする、と一方的な二択を迫る彼。底冷えするような彼の瞳には、一寸の迷いすら感じられなかった。仮に私が断れば、すぐさまその言葉どおり殺されるような気がする。

よく見てみると青年達を始め、自分を取り囲む者達の腰には剣のようなものが納められているではないか。彼の手が腰に下げた剣に触れ、再び後退った背中にひやりとした壁の温度が伝わってくる。


「そんな怖がらないで?オレらは君を守るために来たんだ」

「私を…守る?」


殺伐としたやり取りを見かねたのか、安心させるような優しい声をかけてきたノアを訝しげに見つめる。私の表情を気にするでもなく、まっすぐにこちらを見つめる彼の瞳は、何となくだけど信じられるような気がした。


「君は今、ジークフリード帝国の奴らに狙われてる。君は神懸の巫女だからね。…ミナトが戦ってたあの男も帝国の騎士」

「…?えっと……?」


ジークフリード帝国、神懸の巫女、騎士。ぽんぽんと当たり前の如く並べられた単語全てに首を傾げる。きょとんと目を瞬かせていると、不機嫌そうな舌打ちが聞こえてきた。


「ミナト、しょうがないだろ。この子にもちゃんと理解してもらわないと」

「…めんどくさ」

「…!」


ちょっとムッとした。腕組みをしてこちらを見下ろすミナトくんを、私は頬を膨らませながら互いに睨み合う。そんな私達をノアは子供をあしらうかのように、慣れた様子で宥めた。


「お前胸元に刻印があるだろ。それとその金色の目が巫女の証拠」


気怠そうに目を細めながらとんとんと自分の胸元を指でさし、私の体を見下ろすミナトくんの言葉に思わずどきりとする。無意識のうちに、青い薔薇の刻印が宿る左胸に手を当てていた。幼い頃はなかった刻印。2年程前に突然浮かび上がったのだ。


「どうしてそれを…」

「お前の体を調べさせてもらった」

「!!」


言われてみれば羽織っていたはずの上着は脱がされていて、襟元も心なしか気崩れていた。とっさに隠すかのように両手で体を抱きしめれば、ミナトくんは鼻で笑った。


「隠すほどの体じゃないだろ」

「な…!」

「貧乳巫女」

「はいはい、ストーップ」


表情を崩さずに吐き出される暴言に、怒りやら恥ずかしさやらで言葉にならず、口をぱくぱくさせることしかできなかった。確かに同年代の子よりほんの少ーし発育不良を感じてきたけれど…!

じわりと涙が浮かんできた頃、自分よりも背の低いミナトを後ろから抱きしめるような格好で、ノアが彼の口を塞いだ。


「ごめんな、ミナトって口は悪いけど根はいい子だから」

「…慣れてますから、けなされるの」


貧相な体を隠すかの如く、そそくさと上着を羽織り直す。それと同時にノアの腹部へ肘をめり込ませたミナトくんが、腕の中を脱出していた。そしてようやく私は、自分の置かれている状況を知らされるのだった。


ミナトくん達はユミル王国という国の騎士。同大陸からなる諸国は互いに良好な関係を保ってきたのだが、数年ほど前からジークフリード帝国が各国への攻撃、支配を始めたのだという。そしてさらなる力を求めた帝国は、過去の文献から神に選ばれた巫女の存在に目をつけた。この地の言い伝えによると、巫女を生け贄に捧げれば強大な力を得られるらしい。その巫女を人々は神懸(かみがかり)の巫女と呼ぶ。


「その巫女が私なの?」

「そう。昔から神懸の巫女には共通点があって、それが青い薔薇の刻印と黄金の瞳なんだ」

「帝国側に巫女が渡ればユミル王国だけじゃない、他の国だって滅びる。俺達はそれを阻止するために来た」


先程ミナトくん達と戦っていた男性がジークフリード帝国の騎士だと知り、彼らの言葉が真実であることが裏付けられた。帝国側はすでに水面下で動き出していることも、否が応でも理解せざるを得なくなってしまった。生け贄に捧げられるということは、つまり殺されるということだろう。ユミル王国は私を手元に置いておいて監視する、結果的には私を守る、そういう意味になるのかもしれない。

血なまぐさい話に背筋が凍りつく。今の今まで平和に過ごしてきたのが遠い過去のようだ。永遠にも感じる長い沈黙を破り、震えそうになる声を絞り出しながら小さく頭を下げた。



「…私…花護、かのんです。…よろしくお願いします」


好奇、警戒、無関心…。様々な視線のもとにさらされ、居心地の悪さを感じながら、そっと目を伏せた。

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