坂道では自転車を降りて
カーテンの隙間から彼女の眠る空間に侵入した。冷房の効いた保健室。タオル地の布団をかけて、彼女は寝ていた。俺の眠り姫。ひと目見ずにはいられなかったけど、見たからといって、何かが満たされた訳ではなかった。彼女の寝顔はとてもあどけなく、幼く見えた。悲しそうでも辛そうでもなく、かといって幸福そうでもなく、ただ無表情で眠っていて、なんだか余計に切なくなった。柔らかそうな頬に触れたくなって手を伸ばす。起こしてしまうだろうか。枕の上に広がる髪の毛先に少しだけ触れた。
触れたい、抱き締めたい。でも今はダメだ。髪に顔を近づけて彼女の匂いを嗅ぐ。原っぱの匂いのする髪。吐息は相変わらず甘い香りがした。
何やってんだ俺は。まるっきり変態だ。ため息が出た。ベッドの横に置かれた丸椅子に腰かけて、目覚めない眠り姫をただ眺めた。やる事がなくなって、ベッドに頭を載せるとモーレツな眠気が襲って来た。このまま眠ってしまおうか。いや、教室に戻らないと。でも養護教諭も休んで行けって言った。でもじきに授業も始まる。それにここは少し寒い。
朝霧の中の草原に俺はいた。修学旅行で行った秋吉台の高原に似ていた。この地下には無数の鍾乳洞がある。冷たい朝露に濡れた草が俺のズボンを濡らした。夏なのに寒いくらいだった。後ろから彼女がついて来た。俺が手を伸ばすと俺の手を握った。2人で手を繋いで歩く。どこへ行けば良いんだろう。足下には突然くぼみがあって、きっととても深いんだ。あの鍾乳洞まで続いているのだろうか。落ちたら上がれない。誰もいない、美しいけれど危険な草原を俺達はあてもなく歩いた。遠くに太陽の昇る気配がある。握った手だけが温かかった。