坂道では自転車を降りて

 少しの間、俺は彼女の家の前に立っていた。今頃、母親にただいまと告げて、『夕飯は?』とか『今日は何してたの?』とか訊かれてるんだろうか。どんな顔で会話するんだろう。俺の事は話してあるのかな。男の部屋で勉強してるって、親は知ってるんだろうか。

 彼女は俺に結構よく嘘をつく。なのにちっとも上手じゃない。つかなくていい嘘までつくから、あとで拗れて自分で困ってる。親にもよく嘘をつくんだろうか。彼女のこれまでの素行から言えば、嘘をつく必要はほとんどなかっただろう。

 今日、俺と彼女は親に言えない事をした。悪い事した訳でもなければ、なんでもかんでも親に話さないといけないわけでもない。いずれは誰でもそうなるのだろうけど。

 俺達は日々成長する。岩屋から出る機を逸すれば、山椒魚のように幽閉され、世間を笑い、他人を妬むだけの大人になるだろう。愛らしい子犬の首に架けられた、紅い首輪を外さずにいたら、いずれ子犬は死んでしまう。
 俺たちはお互いの首にかかった首輪を外しあう。岩屋の外に出る。外の世界がどんなに過酷だったとしても、岩屋から出た瞬間に天敵に襲われるかもしれないとしても、出ないわけにはいかないのだ。


 その後はまた元通りの生活に戻すよう努めた。お互い受験生だ。あんなことを習慣にしたらマズい事になるのは分かりきってる。第一、親のいる家であんなことはとてもできない。あの日のことは2人の特別な出来事にしようと、一緒に確認した。
 しばらくの間は俺のほうは十分満足していて、何もする気が起きなかったが、彼女のほうが不安定で、会うたび抱き締めあった。次第に彼女が安定してくると、今度は俺が溜って来て、抱き締めた躯を離せなくなって、彼女を困らせたりした。それでも、お互い欲望を小出しにしながら、危ういバランスで少しずつ軌道修正した。毎日会えたからこそ耐えられたんだと思う。あの日の事を俺達は、少なくとも俺は後悔していない。

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