柴犬主任の可愛い人
「そうですが……?」
訊いたあとにやってしまったと思うのは、血筋を感じる。
変わらず顔を手で覆ったまま、そおっと柴主任を見上げてみれば、その手は私の言葉と共に、私から離れて自分を探る。
「えっ……臭い?」
違うそうじゃなくて。
加齢臭を気にしだすお年頃な柴主任は、そんな匂いしないのに気になりだしてしまったものだから、いい匂いですから大丈夫です、なんて、恥ずかしいことこの上ないことを、宥めるために言い続けた。
ようやく頷いてくれたのは、帰ると言い始めてから十分後のことだった。
「また様子を伺いに来ます」
「これ以上はもういいですからっ」
断ると、けれど華さんたちには知らせる旨と、両親たちに宜しくお伝え下さいという伝言を預かり、限界だったのか眠い目を擦りながら、柴主任は帰っていった。
「……」
一度、ベッドを操作して上半身を起こす。
「……」
もう一度、元の状態に戻して仰向けになってみる。
「……」
また上半身を起こして、今度はそろそろと足を床に下ろして履き物があるか探すと、そこには真新しいスリッパ、しかもピンクの可愛いのを見つけてしまう。これは、柴主任が用意してくれたものだ。
……結果、その場で悶え苦しみ、傷が痛んで二重に苦しむ。
歩くんだ!! 看護師さんも言っていたというそれをしなくてはっ!! 降って湧いた邪念を吹き飛ばす勢いで部屋の中をうろうろしていたら、訪れた看護師さんに怒られてしまった。飛ばしすぎはいけないらしい。私の顔は真っ赤で、今にも倒れそうだったそう。
違うんですそうじゃないと口走りながら戻されたベッドの上、座る私の目の前には朝食のお粥とバナナ、牛乳が置かれている。胸がいっぱいで食べる気など起きず、可動式のテーブルを動かして向こうにやり、私は再び両手で顔を覆った。
……いい匂いって、言っちゃった……。
一度目は誰もいないと思ったから。
一度目とは違う、二度目の匂いにより蘇った記憶。二度目とそれが繋がって、あまりにもいたたまれなって、もう熱が出てもいいから寝込んで全部なかったことにしたくなった。