柴犬主任の可愛い人
そこには、広瀬がいた。喫煙室に近づいていくうちにまず見えたのが広瀬で。
えっ、なんで広瀬が……汐里はどうなるの? あんた汐里以外目もくれなかったよねっ!!
思わず立ち止まり、喫煙室からは死角となる壁づたいにそちらへ近づく。さながらスパイとなったのは、親友を守るためだ。上手くいってるなら見守るけど、酷い仕打ちをしようものなら制裁だと拳を握りしめる。
なのに……、
会話の全容を聞き取れる距離まで隠れて歩いてきたところで、部長と広瀬と、あともうひとりいることがわかった。
「えっ、そうなんですか? 柴主任っ」
っ!!
その名前を耳にした途端、広瀬に使おうとしてた拳はだらりと力が抜けて、ぶらぶらと所在なく揺れる。
喫煙室の中から人の出てくる気配がして、ちょうど近くにあった自動販売機の陰に身を潜めた。出てきたのは部長で、私とは反対方向の廊下を進んでいった。仕事に戻るんだろう。
無意識下の行動か、喫煙室で続く会話が少しでもクリアになるようにと、私はまた壁づたいに、死角となる一番近い場所に移動していた。
何故か大興奮な広瀬を柴主任が宥めるような幾つかのやりとり。それらに耳を傾けていると、聞きたくなかった核心が、広瀬からなされた。
「で、柴主任。それって社内の人間だったりしますか?」
「いや。まさか」
決定的なそれは、喜ぶべきことだったはずなのに、いざ直面してみれば、まだ私には荷が重かったみたいだ。
「そうなんすね。ちなみにどんな人ですか?」
「そうですね――」
柴主任が、それはそれは慈愛に満ちた声色で誰かのことを紡ぐ。
「とても大切にしたいと思える、とても可愛い人ですよ」
私はそれを、呆然としながら聞いていた。
ほどなくして喫煙室を出る柴主任と広瀬から逃れるため、私は倉庫に逃げ込む。二人分の足音が響かなくなってから、その場で足が崩れた。
「……」
広瀬は少しだけ煙草を吸う。部長はもっと吸う。柴主任は、吸わない。
吸わない柴主任があそこに居たのは、部長とお見合いのことを話すため。偶然居合わせた広瀬。
そんな、感じだったんだろう。
お見合い相手のことをあんな声で話す柴主任に、私は勝手にとてつもないダメージを受け、しばらくは動けなかった。