蜜愛フラストレーション


会社への道すがらも口論を続けたふたりとはエレベーターホールで別れ、私はその足で開発室へ向かう。

食事中に紀村さんからデータ変更の確認完了メールが届いたので、彼女は今休憩中だろう。

第1グループ専用の試作室のため、基本的に人気がない。今は安住の地かも、と苦笑しながら試作室に到着。いつものように入室し、部屋のドアを閉める。


そこで顔を上げた瞬間、私は大きく目を瞠った。——なぜ、ここに松木さんが……?


「課長の頼まれ事から急いで戻ったら、萌ちゃんがフロアにも食堂にもいないし、ここで待ってたんだ」

呆然と佇む私を見つめながら言うと、テーブル近くの椅子に腰かけていた彼が立ち上がった。

今の発言から、課長が百合哉さんの気遣いを徹底的に守って下さっていたことを知る。

不自然にならない程度の急務を与えることは難しかったはず。しかし、彼は予定を早々に切り上げてきたらしい。

この部屋は不在の時には施錠されているものの、部署の人間ならば鍵を使って開けるだけ。

百合哉さんの言うとおり、私の行動を知り尽くしているのなら、紀村さんの不在を狙って待ち伏せたのかもしれない。


「ねえ、萌ちゃん聞いてる?どこ行ってたの?」

以前だったら人懐こいと感じていた笑顔も、今はもう畏怖の対象に変わってしまった。

早く逃げなきゃ、そう思うのに。踵を返そうとしても、足ががくがく震えて後ずさるのが精一杯。

声も出せず慄く私を、ジッと見つめる松木さんの眼は暗い光を宿していて。こちらへ徐々に距離を詰めてくる。

「こ、こなっ、」

頭を振りながら言葉を発しようとするのに、口が回らず。唇までガタガタと震え始めた。

それでも背中を見せたら危ない、と後ろ手にドアノブを探るが上手くいかない。

ひとりもがく姿が愉快に映るのか、こちらに詰め寄る彼の靴音がさらに恐怖心を煽っていく。


「そんなに俺が怖い?」

「やっ、……こ、こなっ、……った!」

とうとう目の前に立ち塞がった彼に両肩を強く掴まれて。ガンッ!、とドアに背中を打ちつけられた。


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