蜜愛フラストレーション
その後、乗り込んでから5つ目にアナウンスされた駅で電車を降りた。
そこは各路線が乗り入れる総合駅で、社会人に学生など帰宅を急ぐ人の姿が。Suicaをもって改札を通過し、駅を出る私たちはまた夜道を歩き出す。
ここから徒歩で10分ほど歩く。タクシーならばワンメーターの距離のため、隣からはいつもやんわりと小言が漏れてくる。
「寝不足なんだし、今日くらいタクシーでも」
「缶詰め状態が続いてたからいい運動。結果的に節約とか素敵でしょ?」
「堅実だね」
「一人暮らしなんで締める時は締めなきゃ……っていうのは建前で、お酒とご飯には惜しみたくないの」
「そのポリシー、俺も同意する」
「その表情で言われても説得力ないわ」
「ご忠告どうも」と、取りつく島もない彼にジト目を送った。——胡散臭い笑みを浮かべておきながらよく言う、と。
ともあれ、名古屋で同居していた頃がやけに懐かしく感じる。
大学生の頃はカフェでのバイト代を遊びとお洒落代につぎ込み、その他をすべて実家任せという甘ったれな生活だった。
国内外問わずの旅行や、ゴルフに料理や茶道など様々な習い事が出来たのはすべて恵まれた環境にあったから。自活する立場の今、ひしひしとそう感じている。
食費に始まり、電気と水道にガスや通信費。細々挙げれば生活費で給料はほとんど飛んでしまう。
頑なに地元に住むと拘っていた理由も、ひとりが嫌という子供染みた泣き言だったのだから能天気にもほどがある。
あのまま実家で暮らしていれば、経済観念や金銭感覚も乱れきったままで、ろくな社会人に育たなかったと思う。
結果的に東京で働けるこの環境は、中途半端で甘えたな私には現在進行形で身になっている。——それが発揮されているかはまた別の話なのだが。